岬神社は町中で何故「岬」?「土佐稲荷」と呼ばれる訳もご紹介

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岬神社は町中で何故「岬」?「土佐稲荷」と呼ばれる訳もご紹介

岬神社は歴史好きな人なら見逃せない神社の1つで、別名「土佐稲荷」とも呼ばれています。

なぜそのような名称がついたのでしょうか。

しかも町中にあって岬と呼ばれるのも不思議ですよね。

この記事では岬神社の名称に関する不思議についてくわしくご紹介します。

岬神社は坂本龍馬も参拝した別名「土佐稲荷」

岬神社は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と石栄神(せきえいのかみ)をお祀りする神社です。

倉稲魂命は「お稲荷さま」の名前で日本では広く信仰されている神さまで、眷属は狐です。

農業・商業の加護の他、火難除けのご利益を授けてくださる神さまです。

社殿は一時期、土佐藩の京都屋敷内に鎮座していました。

そのため「土佐稲荷」と呼ばれるようになったのです。

土佐藩士からの信仰は篤く、坂本龍馬や中岡慎太郎といった幕末の志士も土佐藩京屋敷に滞在した折には参拝を欠かさなかったと伝わっています。

その縁で、現在の岬神社境内には坂本龍馬の像と写真が飾られています。

また土佐藩士からだけではなく、先斗町や木屋町の町衆からも岬神社は「産土神」として熱心に信仰されていました。

そのため通常ならば町民が藩屋敷に出入りすることはできませんので、町民が参拝するための専用道路を屋敷内に作ったほどだそうです。

現在の場所に遷座したのは1913年です。

土佐屋敷も明治維新によって売却を余儀なくされ、行き場を失いそうになった現状を憂いた井口新助が屋敷跡地を買い取ったり、氏子の尽力によって現在の場所に落ち着くことになりました。

井口新助という人物は「近江屋」の2代目主人でもあり、坂本龍馬と中岡慎太郎が賊に襲われたのもこの近江屋の中でのことです。

岬神社はこのように京都の中にありながら、土佐藩と密接な繋がりをもった神社です。

なぜ岬神社は町中にあるのに「岬」なのか

岬神社が鎮座している場所は京都の町中です。

日本全国同じような名前の神社はいくつかありますが、いずれも港町などにある神社です。

なぜ、京都の岬神社は町中にあるのでしょうか。

それは、もともと岬神社が別の場所に創建されたからです。

岬神社は室町時代の初め頃、鴨川にある中州の岬に立てられた祠がそのはじまりだと伝わっています。

やがて江戸時代の初期に、土佐藩の京屋敷が建てられた敷地に遷座されました。

そのため「岬神社」と呼ばれるようになったのです。

様々な事情で遷座を繰り返すことを余儀なくされるものの、その度に熱心な氏子によって再建されてきました。

そのため今では岬神社に参拝すると大願成就のご利益を授かることができるともいわれるようになりました。

御朱印はない!

岬神社の御朱印ですが、現在のところないようです。

社務所らしき建物は敷地内にあるのですが、いつお詣りしても無人です。

アクセス方法

岬神社に参拝者専用の駐車場はありません。

周辺は京都の繁華街になりますので、車での参拝は難しいです。

公共交通機関を利用する場合、市バス「四条河原町」下車、徒歩で約7分です。

京阪電車を利用売る場合は「祇園四条駅」あるいは「三条駅」下車で、徒歩7分です。

まとめ

京都の町中にある不思議な神社、岬神社についてご紹介しました。

幾度も遷座を余儀なくされた神社ですが、土佐藩と深い関わり合いのある神社です。

坂本龍馬に縁のある神社ですので、幕末に興味がある方はぜひ一度参拝してみて下さい。

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