瓜生山の名前の由来は何?歴史や伝説をご紹介!

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瓜生山の名前の由来は何?歴史や伝説をご紹介!

北白川にある瓜生山はトレッキングコースとして登山家に人気のある山です。

周辺には多くの寺社仏閣もあり、観光エリアとしても有名ですが何だか不思議な名称の山ですよね。

この記事では瓜生山の名前の由来や歴史・伝説についてご紹介します。

瓜生山の名前は「きゅうり」からとられた!

瓜生山(うりゅうざん)は京都府左京区に位置する山で、標高は294メートルです。

またの名を「勝軍地蔵山」と呼びます。

なぜ「瓜生山」と呼ぶのかというと、それは一時期この山に住んでいたと言われる牛頭天王の好物が「きゅうり」だからなんだとか。

きゅうりを漢字で書くと「胡瓜」、つまり「胡=シルクロード」から渡ってきた瓜という意味になります。

ところで牛頭天王とは日本の神仏習合の考えでは素戔嗚尊と解釈されます。

京都を代表する神社の1つ、八坂神社も「素戔嗚尊=牛頭天王」をお祀りする神社として知られています。

実は瓜生山は、播磨国から八坂神社へと勧請される途中で牛頭天王が立ち寄った場所とも言い伝えられているのです。

勇壮な性格で描かれることの多い牛頭天王がきゅうりを好むなんて、ちょっとかわいらしいですよね。

瓜生山の歴史

瓜生山は別名「勝軍地蔵山」と呼ばれますが、これはかつて戦国大名・六角定頼が瓜生山の山頂に勝軍地蔵を安置したためにその名をとって呼ばれるようになったものです。

勝軍地蔵は厄除けのご利益をもたらすとして多くの人々に信仰されるようになったため、より参拝しやすいようにと1762年には勝軍地蔵山へと遷座します。

戦の勝利だけではなく、飢饉による飢えや前世からの厄でさえも祓ってもらえるとして武士だけではなく庶民からも篤く信仰されていたのです。

現在、瓜生山山頂には狸谷山不動院の奥の院が鎮座しており、かつて勝軍地蔵が鎮座していた跡を見ることができます。

京都の愛宕山にも同じ名称のお地蔵さまが鎮座しておりこちらも勝ち運のご利益を授かれるといわれていますが、これは都の東西を守るペアのお地蔵さまとして安置されたとする説もあります。

また瓜生山を越えるとそこは近江国という地理上の要所だったこともあり、山城が築かれました。

応仁の乱の後には室町幕府の将軍・足利義晴が立て籠もったこともあります。

さらに戦国時代には明智光秀が織田信長による比叡山焼き討ち前に京都を監視するための拠点として使用していました。

瓜生山には仙人の伝説が宿る

瓜生山には白幽子という名前の仙人が棲んでいるという伝説が残る岩窟や使用した井戸などがあります。

白幽子は心と体を病んでしまったお坊さんを独自の精神療法で救ったともいわれています。

そのため瓜生山は長寿と病気平癒のご利益を授かることができるパワースポットとも呼ばれています。

住居跡には石切場がありますが、これはかつて瓜生山で白砂を掘削していた名残です。

まとめ

瓜生山の名前の由来や歴史・伝説についてご紹介しました。

瓜生山はその名の由来になった牛頭天王や勝軍地蔵、そして仙人など病気平癒や長寿にまつわる数々の伝説が残された場所です。

また地理的な重要拠点でもあり、城跡を残す歴史的な遺跡でもあります。

多くの人々が祈りを捧げた不思議な場所です。

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