寝屋川・友呂岐神社の御弓神事と御朱印について
大阪には菅原道真公に縁のある神社が多く残されていますが、友呂岐神社もそのひとつです。
しかしなぜ天満宮の名がついていないのか不思議ですよね。
その謎は友呂岐神社の歴史を見れば解決します。
この記事では友呂岐神社の歴史や神事、御朱印などについてくわしくお伝えします。
参拝の参考にどうぞ。
友呂岐神社の歴史
友呂岐神社(ともろぎじんじゃ)にお祀りするのは誉田別尊(応神天皇)、菅原大神(菅原道真公)、茨田連袗子(まんだむらじころもこ)です。
現在、友呂岐神社が鎮座する土地には1456年頃に土御門天皇の北ノ小路新邸が造営されたと伝わっています。
造営に際し、鎮護社として南に八幡宮を、北には南無阿彌堂の伽藍が創建されたといいます。
やがてお屋敷はなくなりましたが、鎮護社は残されます。
応仁の乱の際には畠山義就と畠山政長がこの地でぶつかり合い、戦火にのまれ社殿も被害を受けますが八幡宮はなんとか存続します。
明治期に入ると周辺に鎮座していた三井神社や田井神社と合併し、「友呂岐神社」と名を改めます。
それ以降、友呂岐神社として地域全体の鎮護を担うお社へと変化していったのです。
さらに屋敷が建てられる以前より、周囲は皇室の荘園が広がっており、皇室と深い関係があったお社です。
また合併した三井神社は、かつて太宰府に左遷される旅の途中だった菅原道真公が宿泊した場所でもあります。
その際に神職と意気投合し、太宰府に移ってからも文通で親交を深めた縁から菅原道真公をお祀りしていた神社です。
友呂岐神社のご利益
友呂岐神社ではお祀りする神さまにちなみ、厄除け・安産祈願・学業向上・合格祈願・産業と土木工事の振興のご利益を頂けるパワースポットです。
特に御祭神の一柱、茨田連袗子は4世紀頃に行われたとされる寝屋川の茨田堤造営事業に貢献したはたらきを讃え合祀されるようになりました。
そのため工事関係者の崇拝も厚い神社です。
また境内には成願稲荷社(じょうがんいなりしゃ)が鎮座しており、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)をお祀りしています。
稲荷社では商売繁盛のご利益を頂くことができます。
友呂岐神社の御弓神事
友呂岐神社では毎年1月上旬(成人の日の直前の日曜日)に「御弓神事」が執り行われます。
これは悪霊退散の宮中行事にのっとった神事で、12本の矢を2人の若者が交互に射ます。
矢がどこに命中したかによって、その年の吉凶や豊饒を占います。
古来には地域の有力者の子弟が務める神事で、紋付きのかみしも姿で行うものでした。
現在では地域に住む20歳の人の中から選ばれて行われています。
友呂岐神社の御朱印
友呂岐神社には1種類の御朱印があります。
社名の墨書きと朱印の他、「ちえの神さま」の文字が配置された御朱印です。
初穂料は300円です。
御朱印は授与所で頂くことができます。
友呂岐神社オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
友呂岐神社には参拝者専用の駐車場がありません。
ただし数台分は境内に駐車できますので、空いている場合は利用できます。
ただし御弓神事や初詣期間はなかなか駐車できません。
この期間に車で参拝する場合は、周辺のコインパーキングを利用しましょう。
最寄りのインターチェンジは「寝屋川北IC」もしくは「寝屋川南IC」です。
どちらのインターチェンジからも友呂岐神社までは車で約20分です。
公共交通機関を利用する場合、京阪本線「香里園駅」下車、徒歩で約10分です。
まとめ
寝屋川市に鎮座する友呂岐神社についてご紹介しました。
友呂岐神社はかつて皇室の荘園に鎮座していた八幡宮を中核に、菅原道真公をお祀りする神社などとの合併を経て誕生したお社です。
宗教と日本の政治がどのように関わってきたかを知ることができる神社でもあります。
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