羽曳野市・野中寺の御朱印・弥勒菩薩・アクセスについて解説
近畿の中でも特に古墳が多く見つかっているエリアが羽曳野市です。
古来より多くの人たちが住んでいたこともあり、歴史ある寺社仏閣も多いです。
野中寺も羽曳野市に鎮座する古刹です。
この記事では野中寺の仏像や御朱印、アクセス方法などについてくわしくご紹介します。
参拝の参考にどうぞ。
野中寺の歴史
野中寺(やちゅうじ)は高野山真言宗のお寺です。
山号は「青龍山」です。
創建は580~620年頃だと伝わっており、蘇我馬子が創建に、発願には聖徳太子が関わっているといわれています。
そのため聖徳太子によって創建された48の寺院の一つと考えられており、叡福寺の「上之太子」、大聖勝軍寺の「下之太子」と並ぶ三太子のひとつとして「中之太子」と野中寺を呼ぶことがあります。
ただし実際には野中寺の鎮座する周囲一帯を統治していた百済系渡来人の一族の氏寺として創建されたものとする説もあります。
創建当時の建築物は南北朝の動乱による戦火にのまれ焼失し残っていません。
ただし伽藍の礎石は残されており、かつての配置を知ることができます。
この礎石は「野中寺旧伽藍跡」として国指定の史跡となっています。
江戸時代になってから再建されました。
ご本尊は薬師如来です。
境内には歌舞伎や浄瑠璃の演目の一つである「お染久松」の主人公の墓や、野中寺の近くで発見されたヒチンジョ池西古墳石棺などを見ることができます。
お染久松の墓は1722年に建立されたもので、一緒にサザンカが供養の品として植樹されています。
この時のサザンカを今なお庭園内でみることができます。
野中寺の弥勒菩薩
野中寺の金銅弥勒菩薩半跏像は江戸時代の文献「河内国名所図会」などにも記載されたあった由緒ある仏像ですが、なぜか1918年になってから「発見」されたという異色の来歴を持ちます。
白鳳期に制作されたとみられており、飛鳥時代の仏像とは異なり東洋的な微笑みを浮かべていない顔立ちが特徴的です。
現在は国の重要指定文化財として登録されています。
金銅弥勒像は普段は秘仏とされており拝観することはできません。ただし毎月18日のみご開帳となっています。
弥勒菩薩像を拝観したい場合は参拝する日付にご注意下さい。
また普段は入山料はかかりませんが、ご開帳の日だけは入山料として300円必要です。
野中寺の御朱印
野中寺の御朱印は7種類あります。
「中之太子」(聖徳太子御創立河内国中之太子、聖徳太子御遺跡霊場第5番)の墨書き、「薬師如来」(西国四十九薬師霊場第14番、河内飛鳥古寺霊場第6番)の墨書きと西国四十九薬師霊場第14番の御詠歌、「聖観世音」(河内六観音霊場)の墨書き、「地蔵菩薩」(河泉二十四地蔵霊場第7番)の墨書きの計7種類です。
初穂料はそれぞれ300円です。
御朱印は寺務所で頂くことができます。
野中寺オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
野中寺には数台分であれば門前に停められるスペースがあります。
ただしご開帳の日などは混んでいて使えない場合がありますので、車で参拝する場合は周辺のコインパーキングを利用するようにしましょう。
最寄りのインターチェンジは西名阪道「藤井寺IC」です。
藤井寺ICからは車で約10分です。
公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線だと「藤井寺駅」で下車し徒歩で約15分です。
藤井寺駅から近鉄バスに乗り換えた場合、「野々上」バス停で下車してすぐ目の前です。
まとめ
野中寺についてご紹介しました。
白鳳期の傑作仏像である弥勒菩薩半跏像や鎌倉時代作の地蔵菩薩像、国指定の史跡である伽藍跡などさまざまな文化財を今なお現在に伝えるお寺です。
参拝する事で古代の歴史に想いを馳せることができます。
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