西方院は聖徳太子の乳母3人が始まり!御朱印の種類や値段についても解説
大阪にはその名も「太子町」があり、その名の通り聖徳太子に縁の深いお寺が鎮座しています。
西方院もそんなお寺の1つで、聖徳太子の乳母3人が中心となってつくられたといわれています。
一体どんな場所なのか気になりますよね。
この記事では西方院についてくわしくご紹介します。
御朱印の種類や値段についてもお伝えしますので、参拝の参考にどうぞ。
西方院の歴史
西方院は浄土宗のお寺ですが、日本で最初の尼寺としても知られています。
山号は「南向山」です。
622年頃に創建されたといわれています。
当初は聖徳太子の聖廟(墓)がある叡福寺の塔頭のひとつでしたが、やがて法楽寺という名称で独立するようになりました。
ご本尊は阿弥陀如来と十一面観世音菩薩です。
ご本尊の阿弥陀如来像は聖徳太子が彫ったものとされています。
本堂に阿弥陀如来像、観音堂に十一面観世音菩薩像が安置されています。
西方院は一時は荒廃するものの、江戸時代に入ると蓮誉寿正尼によって再建され、その際に現在の寺名である「西方院」に改められました。
境内には鐘棲堂があり、この鐘は「引導の鐘」と呼ばれています。
西方院そのものが聖徳太子の極楽浄土行きを願って創建された者であり、現在は納骨者の極楽浄土行きを願って納骨時にこの鐘が鳴らされます。
また納骨堂には聖徳太子の遺髪が納められていますが、聖徳太子の徳とご縁を結ぼうと、宗派を問わず全国から遺髪や遺骨が奉納されています。
その他にも西方院には馬上太子図像や聖徳太子孝養図など、聖徳太子の徳を偲ぶことが出来る収蔵品の数々が残されています。
西方院の創建には乳母3人が関わっている
西方院の開基は聖徳太子の乳母であり侍女でもあった3名といわれています。
蘇我馬子の娘である月益・小野妹子の娘である日益・物部守屋の娘である玉照の3名です。
聖徳太子の死後、その遺髪を西方院におさめ、その魂の安寧を願い3人そろって仏門に入ったといわれています。
境内にはこの三尼公の御廟所が現在でも残されています。
この3人が開基となって成立したお寺であることから、「日本最初の尼寺」を名乗っています。
ただし寺伝や「河内名所図会」以外の文献、「日本書紀」によれば日本で最初の尼寺は飛鳥に鎮座する豊浦寺となっています。
どちらにせよ長い歴史をもつ尼寺ということがよく分かります。
西方院の御朱印
西方院で頂ける御朱印は2種類あります。
「大悲殿」(新西国霊場第8番札所)の墨書きが入ったものと、「三尼公」(聖徳太子三尼公御廟所)の墨書きが入ったもの、計2種類です。
初穂料はそれぞれ300円です。
御朱印は境内にある納経所で頂けます。
御朱印の受付時間は9:00~16:30です。
西方院オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
西方院には参拝者専用の駐車場はありません。
しかし近くの叡福寺には参拝者用の無料駐車場がありますので、両方参拝する場合は利用できます。
叡福寺には聖徳太子のお墓がありますので、両方参拝するのがオススメです。
最寄りのインターチェンジは南阪奈道「太子IC」です。
太子ICから西方院までは車で約5分です。
公共交通機関を利用する場合、近鉄長野線「喜志駅」もしくは近鉄南大阪線「上ノ太子駅」で下車し金剛バスに乗車し「太子前」バス停で下車、徒歩で約5分です。
まとめ
西方院についてご紹介しました。
西方院の開基は聖徳太子の乳母をつとめた3人の侍女です。
聖徳太子の遺髪が納められており、極楽浄土への旅立ちを願い、その魂を弔った寺院でもあります。
西方院を参拝する場合はぜひ近くの叡福寺にもお立ち寄り下さい。
聖徳太子伝説の足跡を追いかけることができます。
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