淀川天神社の御朱印の種類や値段とは?奈良時代からの古い神社って本当?
大阪市北区には由緒ある寺社仏閣を多く目にすることができます。
その1つが淀川天神社で、その歴史は古く奈良時代にまでさかのぼることができるといいます。
いったいどんな歴史をもつ神社なのか気になりますよね。
この記事では淀川天神社の歴史だけではなく御朱印の種類や値段についてくわしくご紹介します。
参拝の参考にどうぞ。
淀川天神社の歴史
淀川天神社(よどがわてんじんしゃ)は正式には「天神社」(あまつかむのやしろ)といいますが、淀川天神社の方が一般的に知られています。
歩いて行けるほど近くに国分寺が鎮座していますが、かつてはこの国分寺の鎮守社としての役割を果たしていました。
淀川天神社にお祀りするのは天穂日命(あめのほひのみこと)です。
738年頃に行基によって現在の北区一帯の開墾が行われた際、守護神として御祭神を勧請したのがその始まりだとされています。
つまり奈良時代から現在まで続く歴史ある神社ということになります。
境内に鎮座する摂社の稲荷神社は1908年になって遷座されたものです。
現在の場所に鎮座する以前は小堀遠江守邸の砂原屋敷に祀られていたと伝わっています。
その後、淀川天神社の鎮座する北区は太平洋戦争時には空襲を受け甚大な被害を受けました。
幸い本殿などは焼失を免れたため、享保年間の建造物である建物を今でも目にすることができます。
その一方で淀川天神社では今でも戦争の名残を留めるものを目にすることができます。
焼け焦げた跡の残る灯篭、空襲により耳が吹き飛ばされた狛犬などです。
淀川天神社の境内を散策すると、平和のありがたさを実感することができます。
淀川天神社は農業・産業の守護と合格祈願のご利益が頂ける
御祭神の天穂日命は天照大神の身につけていた勾玉から生まれた神さまで、第二子だと考えられているお方です。
農業や産業を司る神さまで、天の国から地上へと舞い降りそのまま住みついたとされています。
その子孫には菅原道真や大江匡房といった名だたる学者がそろっています。
そのため淀川天神社でも菅原道真をお祀りするようになり、天満宮としても崇拝されるようになりました。
全国にある天満宮の総本社でもある福岡県の太宰府天満宮の境内にも、御祭神に関係のある神さまとして天穂日命をお祀りする境内社があります。
行基とはどんな人物?
関西一帯の寺社仏閣の創建に関わった人物の名前としてよく耳にするのが「行基」という人物名ではないでしょうか。
行基は歴史の教科書にもとりあげられる、奈良時代の僧侶です。
古代では仏教は国家と天皇のための教えであり、民衆への布教は禁止されていました。
そんな中で弾圧に負けず広く布教を行ったのが行基です。
仏の教えを広めるだけではなく民衆の救済にも力を注ぎ、寺院や修行のための道場や橋、ため池などさまざまな土木事業を行いました。
現代では公共事業として行われていたことが、1人の僧の力によって奈良時代には行われていたのです。
そのため民衆から絶大な支持を得ることとなり、奈良の大仏を建立する際には「行基しか責任者にふさわしい人物はいない」と聖武天皇により招聘されることとなります。
淀川天神社はそんな行基によって創建された神社です。
淀川天神社の御朱印
淀川天神社の御朱印は1種類です。
社名が墨書きではいるシンプルなデザインです。
初穂料は300円で社務所にて頂くことができます。
淀川天神社オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
淀川天神社には参拝者用の駐車場はありません。
車で参拝する場合は近くのコインパーキングなど有料駐車場を利用するようにしましょう。
公共交通機関を利用する場合、大阪市営地下鉄堺筋線もしくは谷町線、または阪急千里線「天神橋筋六丁目駅」下車、徒歩で約5分です。
JR大阪環状線を利用すると「天満駅」で下車、徒歩8分です。
まとめ
淀川天神社についてご紹介しました。
奈良時代から産土神として信仰を集めてきた神社で、農業や産業の守護者でもあります。
またその子孫には菅原道真公などの学者が生まれており、合格祈願のご利益も頂けるといわれています。
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