勝連城跡は世界遺産~読み方・歴史・アクセスについて
沖縄には現在9つの世界遺産があります。
この記事ではその中の1つ、「勝連城跡」についてご紹介します。
300以上はあるといわれているグスクの中でも最古といわれている勝連城跡にはいったいどのような歴史があるのか、またお出かけに役立つアクセス情報についてもご紹介します。
勝連城跡の読み方と歴史
勝連城跡は「かつれんじょうあと」と読みます。
2000年に世界遺産に登録されたグスクで、年間17万人もの観光客が訪れるうるま市きっての人気観光地です。
地域の人々からは「かっちんぐすく」とも呼ばれています。
標高100メートルの高台に位置しているため、海と広い空を堪能することができます。
貝塚時代から勝連城跡には人が住んでいたとみられる痕跡があり、13世紀頃にグスクとしての機能を備えるようになったとみられ、沖縄の現在確認できるグスクの中では最古であると考えられています。
自然の地形を利用して作られた「難攻不落の城」としても知られていますが、軍事的な要塞としての機能の他に4つの区画で構成された勝連城跡は敷地内に「玉ノミウヂ御嶽」や「ウミチムン」などの聖地があり、祈りの場所としての面もあることが分かります。
この地域一帯を支配した有力按司が代々この勝連城跡を居城として使用してきました。
最後の按司は阿麻和利(あまわり)です。
1458年に阿麻和利が討ち死にすると、その後は廃墟となり石垣の一部は道路工事用の石として持ち去られ建築物の多くはその基礎を残すのみとなっています。
世界遺産登録後は整備が進み、復元されつつあります。
毎週水曜日の午後には無料でガイドの案内を聞くことができます。
阿麻和利とはどんな人物?
10代目勝連按司・阿麻和利はもとは貧しい百姓の子で、あまりにも体が弱かったために幼い頃に捨てられたという伝説が残されています。
その後なんとか生き延び、立身出世を遂げます。
クーデターを起こし、若くして10代目の勝連按司に就任しました。
按司となってからは海外貿易に力を入れ、地域に経済的な豊かさをもたらします。
そのため地域に人々には名君・英雄として現在でも親しまれています。
政治の上では護佐丸(ごさまる)と対立し、1つの時代に並び立つことになった二人の英雄はやがて武力衝突を引き起こします。
護佐丸は阿麻和利の行った琉球国王への讒言により王府軍に攻撃され、自害を遂げます。
そして阿麻和利自身も琉球国王と対立し討伐され命を落とします。
阿麻和利・護佐丸・琉球国王の関係は書物や史料ごとに異なる解釈が存在し、歴史の謎に想いを馳せるのも楽しいです。
勝連城跡へのアクセス方法
勝連城跡は勝連半島にある丘の上に鎮座するグスクです。
場所はうるま市勝連南風原3908です。
那覇空港からは約50㎞、車で移動すると約60分です。
最寄りのインターチェンジは「沖縄北IC」です。
インターチェンジを降りると約15分で勝連城跡にたどりつきます。
路線バスを利用する場合、「勝連団地前」バス停下車で、徒歩約10分です。
勝連城跡は天然の要塞として知られるグスクですので、足下は運動しやすいようにスニーカーなどが適しています。
無料で利用できる駐車場には休憩所やお土産屋さんがあり、うるま市の特産品を手に取ることができます。
まとめ
世界遺産の1つ、勝連城跡についてご紹介しました。
グスクの中では最も古く13世紀頃の創建だと考えられています。
天然の地形を活用した要塞で難攻不落の城としても知られていますが、敷地内には数多くの聖地もありパワースポットとしても知られています。
景観も素晴らしく、栄光の阿麻和利時代の経済的発展を支えた貿易の舞台である海まで見渡すことができます。
標高がある分、一番高いところまで出かけるには少々覚悟が必要です。
歩きやすい靴や日焼け対策を万全にして出かけましょう。
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