糸数城跡は南城市のパワースポット!歴史や城主について

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糸数城跡は南城市のパワースポット!歴史や城主について

南城市には約4㎞という短い区間に4つの城跡が集中する通称「グスクロード」があります。

糸数城跡・玉城城跡・ミントングスク・垣花城跡など、沖縄の歴史を知る上で重要な史跡が集中しているエリアになりますが、それぞれの場所が分かりにくいことでも知られています。

この記事では中でも「糸数城跡」についてどんなパワースポットか、また城主についてもくわしくご紹介します。

お出かけの参考にどうぞ。

糸数城跡は天然の要塞

糸数城跡(いとかずぐすく)は14世紀前半頃に築城された南部エリア最大のグスクです。

標高151mに鎮座する玉城按司一族が築いた城ですが、上間按司との戦いに負けて廃城となりました。

城の構造は単純ですが、三方を崖に囲まれた地形を最大限に活かした要塞となっています。

沖縄のグスクの多くは祈りを捧げるための聖地としての役割がありますが、糸数城は要塞として軍事的な意味に重点が置かれて築城されています。

発掘調査では敷地内から中国製の陶磁器がみつかっており、当時の按司の権力の高さについて知ることができます。

太平洋戦争時の沖縄戦によって城の大部分は破壊されましたが、野面積みと切石積み(布積み)が併用された石垣の一部が残されています。

「アザナ」と呼ばれる物見台から眼下を眺めると、東シナ海と太平洋を臨むことができます。

糸数城跡の城主は戦国時代の名将

糸数城は玉城按司の三男の糸数按司によって築かれた城と伝わっています。

築城中は近くにある根石城(にーいしぐすく)に住んでいたため、糸数城を「元グスク」と呼ぶこともあります。

14世紀というと、沖縄では戦国時代にあたり、中山・南山・北山の3大勢力が覇権を争っていた時代です。

玉城按司は長男を大城按司に任命する一方で、知勇に優れていた三男を糸数按司に任命し西部の守りを任せました。

その後、糸数城は増築あるいは石垣の修理中のために有力な家臣が国頭地方へと出かけ、警備が手薄となった隙に敵軍勢に襲われた落城したと伝わっています。

現在では糸数城跡は石垣がどのようにして積まれたのかを知る史料として歴史的価値の高いグスクとなっています。

糸数城跡へのアクセス方法

糸数城跡は場所は南城市玉城糸数133です。

那覇空港から糸数城跡までは車で約60分です。

最寄りのインターチェンジは「南風原南IC」で、インターチェンジを降りてから国道507号線を経由して県道48号線を玉城方面に向かって進むと道路案内標識が見えてきます。

インターチェンジを降りて目的地までは車で約20分です。

無料の駐車場を完備しています。

グスクロードに点在する城跡の中では、糸数城跡が最も道に迷いやすいともいわれています。

観光地化されていないところが魅力の一つですが、道の舗装が十分にされていないので「ここで本当にあっているの?」と不安になってしまいがちです。

最も道に迷わない方法としては、「南部観光総合案内センター」からスタートしてグスクロードを通ることです。

南部観光総合案内センターから糸数城跡までは南側にある坂を下ったところにある左の脇道を通ればすぐに辿り着けます。

公共交通機関を利用する場合、路線バスだと53番志喜屋線「糸数入り口」バス停下車、徒歩で約20分です。

近くにある「おきなわワールド」からは車で約5分ほどです。

まとめ

南城市のグスクロードに鎮座する糸数城跡についてご紹介しました。

城主は糸数按司であったと考えられ、玉城城跡を築いた一族の出身だと考えられています。

糸数城跡は沖縄本島南部では最大規模のグスクであり、高度な石積みの技術を目にすることができます。

廃城になってもなお、その風格は残されています。

沖縄の歴史を理解するためにもぜひ一度お出かけ下さい。

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