竹富島の西塘御嶽は偉人の名を冠した御嶽!どんな人物だったの?

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竹富島の西塘御嶽は偉人の名を冠した御嶽!どんな人物だったの?

竹富島には数多くの御嶽があり、現在も地域の人々によって熱心に信仰されている祈りの文化が根強い地域です。

この記事ではそんな御嶽の中から、特に他の地域ではあまり見かけない特色を持つ西塘御嶽についてご紹介します。

西塘という人物を神さまとしてお祀りする御嶽ですが、いったいどんな人物だったのでしょうか。

八重山諸島だけではなく、琉球王国の歴史についても知ることができますよ。

西塘御嶽は島の守護神をお祀りする聖地

西塘御嶽(にしとーおん)は県指定の文化財でもあり、西塘という人物の屋敷跡であり墓地でもある場所に制定された御嶽です。

1846年頃に創建され、西塘大祭や四月大願いなどの祭祀が現在も行われています。

敷地前には鳥居があり、奥にある拝所には神社の拝殿のように鈴や賽銭箱が置かれており、他の御嶽とはずいぶんと趣が異なります。

日本古来の神社に近いスタイルです。

それもそのはず、沖縄の御嶽は自然やそこに宿る神、一族の祖先に祈りを捧げるための場所ですが、この西塘御嶽は個人を神としてお祀りした御嶽なのです。

実はこの西塘御嶽が制定された年、竹富島は害虫によって大凶作に陥り、人々の生活は困窮します。

そんなさなか、とある老人に神が舞い降り「西塘さまをお祀りせよ」と叫びます。

村人は協議の結果、西塘御嶽を制定し祭祀を執り行います。

それ以降、村は害虫による被害を受けなくなったといいます。

そのため現在に至るまで、竹富島では西塘御嶽へ祈りを捧げるのです。

西塘は琉球王国だけでなく八重島のために貢献した偉人

そもそも西塘とはどんな人物なのでしょうか。

西塘は竹富島最大の偉人とも呼べる人物で、技師として琉球王国に25年間出仕しました。

首里の園比屋武御嶽の石門築造や首里城北面の城壁設計役といった大役を果たした後、竹富首里大屋子として八重山諸島の統治を任されました。

八重山諸島の統治にあたった時代は善政を敷き、農業の改善向上のための指導を行い、日時計や時報の整備を行い生活基盤の確立に尽力しました。

その功績から島では「西塘精神」という言葉が使用されるようになったほどで、古老たちは敬意を払って「西塘さま」とお呼びするそうです。

西塘自身も出世しても故郷のことが忘れられず、首里城の園比屋武御嶽の石門に「もし自分を故郷に帰らせてくれるのであれば、石門に宿る神さまを竹富島にもお祀りする」と願掛けを行ったといいます。

願いかなって八重山諸島に帰還した後は、国仲御嶽を制定し願掛け通りに園比屋武御嶽の神さまを勧請しました。

西塘は当初、自分の故郷である竹富島に蔵元(統括所)をおき八重山諸島全体の統治を行いましたが、後に交通の便などを考え石垣島にその機能を移しています。

その後、石垣島は八重山諸島の中心地として機能し現在に至ります。

西塘は恩義を忘れない義理堅い人であると共に、先見の明もあったようです。

西塘御嶽へのアクセス方法

西塘御嶽までは竹富港から約1km、徒歩だと約15分です。

すぐ隣にはなごみの塔や竹富観光センターがあり、たきどぅんや世持御嶽もすぐ近くにあるため散策するにはちょうど良いエリアです。

竹富島までは石垣港離島ターミナルからフェリーで向かいます。所要時間は約10分、大人の運賃が片道600円です。

石垣島からほど近い島でフェリーの便数も多くアクセスしやすいですが、天候によってはかなりの揺れとなりますので、近場であっても酔い止め対策は必須です。

まとめ

西塘御嶽についてご紹介しました。

竹富島出身の西塘の徳をたたえて創建された御嶽です。

特定の個人を讃えて作られる御嶽は沖縄では珍しく、西塘が地域の人々からどれだけ尊敬されていたのかよく分かります。

その徳にあやかりに、ぜひ一度お出かけください。

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