本能寺は今どうなっているの?御朱印もいただけるの?

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本能寺は今どうなっているの?御朱印もいただけるの?

「本能寺」といえば、歴史には興味がないという人もドラマや映画、ゲーム、漫画といったさまざまなコンテンツで目にしたり耳にしたことも多いのではないでしょうか。

近世日本史の一大事件に関わるお寺でもあります。

そこで気になるのは「大変な出来事が起きた後、あのお寺はどうなってしまったのか」という点です。

この記事では本能寺の歴史から現在の状況についてくわしくご紹介します。

御朱印についてもお伝えします。

本能寺の歴史について

本能寺は法華宗(日蓮宗)本門流の大本山です。

歴史の教科書では「本能寺の変」が起きた舞台としてあまりにも有名です。

1415年に日隆承上人を開山として創建されました。

1582年に織田信長に反旗を翻した家臣の明智光秀は本能寺に攻撃をしかけます。

これが世に言う「本能寺の変」です。

天下統一に最も近いとされていた武将・織田信長に勝ったことで一時的に天下に最も近付いた明智光秀ですがすぐに戦死し、政権の中枢は豊臣秀吉からやがて徳川家康へと変化していきます。

ところでなぜ織田信長は本能寺に滞在していたのでしょうか。

それは本能寺を中心とする教団は、当時畿内はもちろん瀬戸内、九州にまで公布していたことと関係します。

九州のの中では種子島にまでその影響力は及んでいました。

中世において種子島とは最新式の武器、「火縄銃」を指します。

詳細は諸説あるものの、織田信長はこの火縄銃を戦法にたくみに組み込み勝利をつかみました。

そのため本能寺とも関係が深く、京都に上洛する場合は宿として本能寺を利用していたのです。

本能寺の現在について

本能寺の変では映画など映像作品で描かれているように、本能寺そのものが焼失しています。

その後、お寺は豊臣秀吉による京都の都市計画に伴い焼け落ちた場所から約1.8㎞ほど移動を余儀なくされました。

このときに移動した場所こそ、現在の本能寺が建っている場所です。

本能寺の変が起きた際に本能寺があった場所には現在、京都市立堀川高校本能学舎が建っています。

1592年に再建された本能寺ですが、残念ながら1788年の天明の大火、1840年の蛤御門の変で再び焼失し、現在の本堂は1928年に再建されたものになります。

移転後も何度も火災に遭った受難のお寺といえるでしょう。

御朱印について

本能寺で頂ける御朱印は2種類あります。

「妙法法華宗」の墨書きが入ったものと、御首題の2種類です。

どちらも織田信長の家紋のスタンプが入ります。

初穂料はいずれも300円です。

本能寺のオリジナルデザインの御朱印帳は4種類あります。

無地で寺紋と寺名だけが入ったものが山吹色・深草色・ベージュの3色あります。

そして黒地に赤で織田家紋・寺紋・宗紋と寺名が入ったものの計4種類です。

サイズは全て18cm×11cmで、初穂料はそれぞれ1000円です。

またそれぞれの御朱印帳の色合いに対応したオリジナルデザインの御朱印帳袋もあります。

すべて巾着タイプになります。

アクセス方法

本能寺には参拝者専用の駐車場が約20台分あります。

利用料金は30分で200円です。

公共交通機関を利用する場合、市バスだと「河原町三条停」下車、徒歩で約2分です。

電車を利用する場合、地下鉄東西線だと「市役所前駅」下車で徒歩3分、京阪電車「三条駅」下車で徒歩5分です。

周辺は京都市内でも特にプチホテルや人気のカフェが密集している地帯でもありますので、散策するにはちょうど良いエリアです。

公共交通機関を利用してのんびりお散歩を楽しむのがおすすめです。

まとめ

本能寺の歴史と現在についてくわしくご紹介しました。

現在の本能寺が建っている場所は、本能寺の変が起きた場所とは異なります。

移転後も何度も火災に遭っており、現在の本堂は1928年に再建されたものです。

御朱印には織田信長の家紋が入っており、境内には織田信長とその家臣たちの供養塔が並んでいます。

歴史好きな人は一度は訪れておきたいお寺です。

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