誉田八幡宮には国宝になった御神輿が!御朱印や厄除けお守りもご紹介
かつて河内国とよばれていた大阪府東部地域には数多くの古墳が残されています。
4~5世紀にかけて日本の政治で重要な役割を果たした地域とよくわかります。
誉田八幡宮はそんな古代日本の歴史について知ることができる神社です。
いったいどんな歴史や見どころがあるのか気になりますよね。
この記事では誉田八幡宮のご利益や国宝になった御神輿についてくわしくご紹介します。
御朱印やお守り、アクセス方法もお伝えしますので、参拝の参考にどうぞ。
誉田八幡宮の歴史
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は応神天皇をお祀りする八幡宮の中では最古と呼ばれる神社です。
扁額にある「八幡宮」の「八」の文字はよく見ると向かい合う鳩の形をしています。
創建は559年頃とされていますが、現在の位置に遷座してきたのは1051年です。
誉田八幡宮の敷地近くには応神天皇陵(誉田御廟山古墳)が鎮座しています。
社名の由来は応神天皇の諱(いみな)である誉田別尊(ほんだわけのみこと)からきています。
これは応神天皇が幼少期を羽曳野市誉田で過ごしたこと、またこの地方の有力者である誉田真若王の娘を妃としたことから付けられた諱だとみられています。
八幡神である応神天皇は源氏のルーツとされており、源氏の血筋を自称する武将たちから厚く信仰されてきた神社です。
しかし15世紀に入ると畠山氏の内紛に巻き込まれ社殿は焼失し、戦国時代に入ると織田信長に社領の全てを没収されてしまいます。
その後は豊臣秀吉によって社殿が寄付されるなど豊臣家の支援を受け、江戸幕府からも保護を受け現在に至ります。
誉田八幡宮は安産祈願・厄払いのご利益を頂けるパワースポット
誉田八幡宮の境内社には「安産社」があります。
御神体は槐の木です。
かつて後冷泉天皇の皇后の夢にでてきた老婆の託宣に従って誉田八幡宮の境内で槐の木を探したところ見つかったため、枝を持ち帰りました。
すると無事に出産できたことから感謝の気持ちを捧げるためにお社が建てられました。
また源頼朝の母親も同じような夢を見て、無事に源頼朝を出産したともいわれています。
そのため安産祈願のご利益が頂けるパワースポットとして信仰を集めています。
また境内社である「正宗神社」には素戔嗚尊をお祀りしており、厄払いのご利益を授かることができます。
また恵比寿社では毎年1月9日には十日戎の例祭が執り行われ、商売繁盛祈願に多くの参拝者が訪れます。
誉田八幡宮の国宝
誉田八幡宮が所蔵する国宝は2点あります。
源頼朝が寄進したと伝わる塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうみこし)(鎌倉時代作)と丸山古墳から出土した金銅透彫鞍金具(古墳時代作)です。
誉田八幡宮の大祭は毎年9月15日に行われますが、大祭では御神輿が神社境内を出発して応神天皇陵の頂上に建てられたお堂まで渡ります。
誉田八幡宮にある放生橋(太鼓橋)を渡る姿は必見です。
普段は国宝2点は宝物館に展示されています。
宝物館が開館するのは毎週土曜日のみです。
拝観時間は13:00~16:00、拝観料は400円です。
国宝以外にも多くの重要文化財を収蔵しており、一度は訪れておきたい場所です。
誉田八幡宮のお守り
誉田八幡宮では種類豊富なお守りがそろっています。
得に人気があるお守りは「安産槐木御守」です。
また安産祈願のために、戌の日になるとご祈祷に訪れる人も多いです。
安産祈願は祈祷料7000円からです。
また厄払いのご利益がある「開運厄除御守」や「運がよくなる鈴守」もあります。
厄除祈祷の玉串料は5000円からです。
その他にも各種祈願のご祈祷を受け付けています。
誉田八幡宮の御朱印
誉田八幡宮の御朱印は1種類です。
「誉田八幡宮」の墨書きが入るシンプルなデザインです。
初穂料は300円です。
御朱印は授与所で頂くことができます。
誉田八幡宮オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
誉田八幡宮には参拝者専用の駐車場があります。
最寄りのインターチェンジは西名阪道「藤井寺IC」です。
藤井寺ICから誉田八幡宮までは車で約10分です。
公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線「古市駅」下車、徒歩で約8分です。
まとめ
誉田八幡宮についてご紹介しました。
応神天皇のお墓と伝えられる古墳のすぐ近くに鎮座する誉田八幡宮では毎年9月になると国宝の御神輿による「お渡り」が執り行われます。
日本最初の八幡宮でもあり、安産祈願と厄除けのご利益を授かることもできます。
古代王朝についても理解を深めることができるパワースポットです。
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