和光寺(西区)の阿弥陀池と長野善光寺の関りとは?御朱印の値段や種類も解説

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和光寺(西区)の阿弥陀池と長野善光寺の関りとは?御朱印の値段や種類も解説

お寺や神社はその土地に住む人々の心の支えであり、古来より生活の中心地でした。

そのため地名に影響を与えることが多いです。

大阪市西区に鎮座する和光寺もそんなお寺のひとつです。

「あみだ池」の通り名で知られていますが、長野善光寺とも深い縁があるといわれています。

一体どのような縁で大阪と長野が結ばれているのでしょうか。

気になりますよね。

この記事ではそんな和光寺についてご紹介します。

御朱印についてもお伝えしますので、参拝の参考にどうぞ。

和光寺の歴史

和光寺(わこうじ)は浄土宗のお寺で、住職は尼僧が務める尼寺です。

山号は「蓮池山」で、正式には「智善院和光寺」といいます。

地域の人々には「あみだ池」の名称で親しまれており、大阪市内の幹線道路の1つ「あみだ池筋」の由来ともなったお寺です。

ご本尊は阿弥陀如来です。

創建は1968年と伝わっています。

江戸時代、現在でいうところの大阪市西区周辺は都市開発がさかんに行われました。

そのさい、堀江新地開発に伴い江戸幕府の命令で永代寺地が定められました。

開基として智善上人を迎えていますが、これは和光寺が長野善光寺にお祀りする阿弥陀如来顕現の地だからです。

都市開発の一環として創建されたお寺は周辺地域の発展の中心地となり、門前には数多くの店や芝居小屋が建ち並び和光寺は大いに栄えました。

仏教伝来の聖地として「摂津名所図会」でもそのにぎわいが紹介されています。

その後は太平洋戦争で堂宇は空襲に巻き込まれ焼失しましたが再建され、現在に至ります。

そのため本堂は鉄筋コンクリート製で近代的な作りとなっています。

和光寺の阿弥陀池は長野善光寺との縁をつないでいる

和光寺の山号である「蓮池山」は、お寺を建立する以前からこの地にあった阿弥陀池が由来です。

なぜ阿弥陀池と呼ぶのかというと、この池に阿弥陀如来が姿を現したという伝説が残されているためです。

推古天皇の時代、仏教を巡って聖徳太子・蘇我馬子と物部守屋氏は対立関係にありました。

仏教を取り入れることに反対の立場であった物部守屋氏は阿弥陀如来像を難波の堀江に捨ててしまいます。

その仏像を信濃国国司であった本田善光氏が救い出し、信濃国に持ち帰りお祀りするために長野善光寺を創建しました。

そのため物部守屋氏が仏像を捨てた池を「阿弥陀池」と呼ぶようになったのです。

やがて時代が変わり、江戸時代に入り阿弥陀池周辺にお寺を建立することになりました。

このとき長野善光寺の住職であった智善上人によって、改めてご本尊顕現の地を祀るために阿弥陀如来を安置するためのお寺、和光寺が創建されました。

現在は阿弥陀池の上に放光閣が建てられており、こちらのご本尊も阿弥陀如来となっています。

古典落語のひとつ「あみだ池」の舞台にもなりました。

和光寺の御朱印

和光寺で頂ける御朱印は1種類です。

「法王殿」(摂津国八十八ヶ所霊場札所第3番)の墨書きが入ります。

初穂料は300円です。

御朱印は寺務所で頂けます。

寺務所に人の姿が見えない場合はインターホンを押すと対応してもらえるのですが、このインターホンが寺務所玄関の内側にあるため、無人であっても一度玄関の引き戸を開ける必要があります。

和光寺オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。

アクセス方法

和光寺には参拝者専用の駐車場はありません。

車で参拝する場合は周辺の有料駐車場を利用しましょう。

公共交通機関を利用する場合、千日前線「西長堀駅」下車、徒歩で約2分です。

まとめ

和光寺についてご紹介しました。

大阪市西区が江戸時代に都市開発される際、その中心の担うお寺として創建されたのが和光寺です。

周辺の地名となった「阿弥陀池」は長野善光寺のご本尊が顕現し、日本における仏教伝来の聖地として知られています。

戦争の影響などでお寺の敷地は以前よりも狭くなりましたが、現在でも地域の人々の信仰の場所として機能しています。

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