沖縄・熊野信仰の理由とは!?
沖縄には独特の信仰文化がありますが、日本の神道の影響も各地で見かけることがあります。
中でも熊野信仰が浸透していますが、なぜ沖縄では熊野信仰が根付いているのでしょうか。
不思議ですよね。
この記事では、沖縄で熊野信仰が息づく理由についてご紹介します。
日本本土と海を遠く隔てて共存してきた沖縄の不思議な縁についてお伝えします。
熊野信仰とは自然を畏れ敬うこと
そもそも熊野信仰とはどのような宗教観かご存じでしょうか。
熊野信仰とは和歌山県に鎮座する熊野三山とそこに宿る神仏を信仰するものです。
西国を中心に熱心な信仰を集めています。
熊野三山では熊野川・那智の滝・神倉山を御神体ととらえており、そこに祖先崇拝の観念が混じり熊野信仰という独特な宗教観が生まれたと考えられています。
自然そのものを神として信仰し、やがて仏さまも共に宿ると考えられるようになったのです。
そのため熊野信仰では、修験者は熊野三山をめぐり自然の精霊や神仏と交信することで悟りや霊力を得ようとするのです。
熊野信仰には神道、密教、仏教とさまざまな教えが渾然一体となって混じり合い共存しているのです。
沖縄は熊野信仰が盛ん
沖縄には「琉球八社」と呼ばれる、神社の中でも特に信仰を集めている8つのお社があります。
その筆頭で一之宮にあたるのが「波上宮」です。
この波上宮をはじめ、8社中7社が熊野大神をお祀りする神社です。
波上宮は太平洋戦争の影響で焼失してしまいますが、戦後再建されました。
再建にあたり、宮司自身が和歌山まで赴き熊野大神の分霊を飛行機で運びました。
まだ沖縄が日本復帰を果たしていない時代のことですから、当然のことながら日本から沖縄へ運ぶものは荷物検査があります。
しかし神さまの分霊を除くことはかなりおそれおおいことです。
人目に触れてしまうとその神聖性を失うとも考えられています。
宮司は命をはって荷物を開けさせないように交渉し、再び沖縄の地に熊野の神さまを勧請することができました。
それほど沖縄では熊野の神さまに対する信仰心が篤いということでしょう。
補陀落渡海はニライカナイ信仰に似ている?
沖縄における熊野信仰の始まりのハッキリとした時期についてはまだ研究がなされている途中ですが、15~16世紀頃には熊野信仰が沖縄に伝わっていたと考えられています。
沖縄出身の僧侶が日本本土に修行にやって来た際に、熊野信仰も沖縄に持ち帰ったとする説の他に「補陀落渡海」によって和歌山から沖縄へ僧侶が流れ着いたのだとする説もあります。
補陀落渡海とは南の海に存在すると信じられている「補陀落山」を目指して船で海にこぎ出す修行を指します。
補陀落山は「観音山」とも呼ばれており、観音の鎮座する世界、すなわち極楽浄土と考えられています。
修行といいつつ航海技術を全く持たない僧侶が単身船に乗り込んで出航するわけですから、実際には自殺に近い気がします。
しかし当時の人々は本気で信仰心があれば浄土に辿り着けると信じていたのでしょう。
とはいえこのような荒修行に向かう僧侶は捨身行者と呼ばれ、なかなか真似できることではなかったようです。
補陀落渡会海を敢行した僧侶の多くは亡くなった人がほとんどですが、中には琉球に辿り着くひともいたようです。
こういった沖縄に漂着した僧侶によって熊野信仰が広まっていったのかもしれません。
「海の向こうにある浄土世界」である補陀落山は、沖縄で広く信仰されているニライカナイに非常に良く似ています。
そのため人々に受け容れやすい信仰だったのかもしれません。
日秀上人の沖縄での足跡
真言宗の僧侶、日秀上人も補陀落山を目指して海洋にこぎ出し、沖縄に辿り着いた人間の一人とされています。
16世紀頃のできごとです。
やがて日秀上人は金峰山金武観音寺(金武宮・観音寺)の開山となりました。
金武宮は琉球八社の1つです。
敷地内には洞窟があり、しばらく日秀上人はこの洞窟に暮らしていたそうです。
熊野信仰における洞窟とは「死者の世界=黄泉」への入り口であり、沖縄でも洞窟は神さまやご先祖様に祈るための聖地、つまりニライカナイに近い場所と捉えています。
和歌山と沖縄、遠く離れた場所にあっても思想の共通点があったために琉球に流れ着いた熊野信仰が根付くことになったのでしょう。
また日秀上人が真言宗の僧侶であったことも関係していると見られます。
真言宗は人々願いを神仏に加持祈祷を行うことで届けます。
そして神仏に祈りを届けるために必要な修行を熊野三山で行います。
沖縄でも、自然に向かって祈りを捧げることで霊界と人間を繋ぐ「ユタ」と呼ばれる霊能者がいますよね。
熊野修行はユタの技につながるところがあり、ユタが日常に一部だった沖縄の人々にとっては熊野信仰との親和性が高かったのかもしれません。
まとめ
沖縄で熊野信仰が受け容れられている理由についてご紹介しました。
もともと沖縄には死者の世界であるニライカナイという宗教観やユタなどを通じて自然に宿る神々と交信するという文化がありました。
熊野信仰に似た信仰の土壌があったために受け容れやすかったのかもしれません。
また琉球王国が保護していた真言宗と熊野信仰がセットで布教されたことも、根付くことになった一因かもしれません。
和歌山と沖縄、遠く離れていても縁でつながっているとおもうと、なんだかとても不思議ですよね。
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