養源院の血天井の由来が気になる!拝観料や御朱印などもご紹介

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養源院の血天井の由来が気になる!拝観料や御朱印などもご紹介

京都東山区は数多くの文化財や飲食店など観光スポットが密集したエリアです。

限られた時間内でどこを廻るか悩んでしまうくらいです。

この記事ではそんな東山区でも血天井や襖絵などの見どころ満載の養源院についてくわしくご紹介します。

血天井の由来や拝観料など、知っておくと参拝に役立つ情報ばかりですのでご覧下さい。

養源院の歴史について

養源院は淀殿が父(浅井長政)と母の追善供養を行うために1594年に創建されました。

一度は火災により焼失してしまいますが、徳川秀忠夫人であるお江の懇願により再建されました。

淀殿は豊臣秀吉の側室の一人ではありましたが、お江の妹でもあったためにこの懇願は認められ、豊臣秀吉を弔うお寺としての性格も残されました。

その後は徳川家の菩提寺となり、現在でも2代将軍・秀忠から最後の将軍・慶喜まで歴代将軍の位牌が祀られています。

養源院にある位牌のうち、徳川秀忠とお江(崇源院)には「葵」「菊」「桐」の3種類の紋が入っています。

これは徳川家を示す「葵」と、天皇家を示す「菊」、そして豊臣家を示す「桐」です。

この3つが並んだ様子を見られるお寺は養源院だけです。

これは養源院が豊臣家にゆかりのある淀殿によって創建され、その後徳川家によって再興され、やがて再建に関わったお江(崇源院)の娘・和子が天皇家に輿入れしたためです。

政治的に複雑な関係にあった3つの家のつながりを見ることができます。

養源院の見どころ

こじんまりとしたお寺ですが、養源院は俵屋宗達が描いたふすま絵「金地着色松図」や杉戸に描かれた「白象図」「唐獅子図」「波と麒麟図」など、歴史や美術の教科書で見る数々の芸術作品を所蔵していることでも知られています。

庭は小堀遠州の作で、四季折々の美しさに定評があります。

また本堂は伏見城の移築、鴬張りの廊下など、建物そのものにもさまざまな工夫が施されています。

拝観の際にはお寺の方が丁寧に説明をしてくれます。

そのため自分のペースで見て回ることは出来ませんが、より深く養源院について知ることができますのでとても助かります。

拝観料は大人500円、小学生300円です。

拝観受付料を払うと俵屋宗達の絵はがきが頂けます。

これは嬉しいです。

養源院にある血天井は忠義の証

養源院には一部「血天井」と呼ばれる、血痕と思われる黒々とした染みのある天井があります。

もともと血天井は多くの寺院でみられるものです。

戦などで血痕が染みついた床板を寺院の天井に使用することで供養するという風習があるためです。

京都では養源院の他に宝泉院や源光庵などいくつかの寺院で見られます。

養源院の血天井が見られるのは本堂の廊下です。

これは養源院が1621年に再建された際、伏見城の遺構を建築材として使用したためです。

「伏見城の戦い」とは、天下分け目の大戦と呼ばれた関ヶ原の戦いの前哨戦で、反・徳川体勢(豊臣派)が家康不在の伏見城を攻撃した戦です。

籠城し城を守ろうと戦った家康の家臣・鳥居元忠は最後は自刃し果てます。

血天井をよく見ると鳥居元忠の髷の形まで分かります。

これは死体を一ヶ月近くそのままに放置してしまったために血痕が染みこんでとれなくなってしまったせいだとか。

もともとこの伏見城の戦いを徳川家康は予見しており、城を留守にする際には留守を守る鳥居元忠に「すまない」と声をかけたとも言われています。

数少ない軍勢を率いて絶望的な防衛戦に命を捧げた鳥居元忠を、徳川家康は「武士の鑑」として後世に語り継ぐように命じます。

その言葉通りに、現在でも血天井を見上げることで壮絶な戦の最期を思い描くことができます。

御朱印について

養源院の御朱印は1種類で、「雨寶殿」の墨書きが入ります。

初穂料は300円です。

書き置きのみとなっています。

御朱印は拝観受付所で頂くことができます。

受付時間は9:00~16:00です。

養源院オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。

アクセス方法

養源院に駐車場はありますが2台分ほどですので駐車するのは厳しいです。

公共交通機関を利用する場合、市バスだと「東山七条」あるいは「博物館三十三間堂前」下車、徒歩で約3分です。

京阪電車だと「七条駅」下車、徒歩で約7分です。

三十三間堂から徒歩3分という近場にあり、それ以外の京都で人気の観光スポットが密集しているエリアです。

のんびり散策しながらあちこち見て回るのであれば、公共交通機関の利用が一番便利です。

タクシーもつかまえやすいです。

まとめ

養源院について歴史や見どころ、御朱印についてご紹介しました。

養源院の血天井は伏見城から移築されたもので、戦いの激しさを物語っています。

一見ユーモラスな杉戸の動物たちの絵も、俵屋宗達が戦死者たちの魂の鎮魂を願って描いたものだと伝わっています。

静かな気持ちで参拝したいお寺です。

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