西本願寺に新撰組の屯所があったの?合わせて見どころをご紹介
西本願寺と言えば今でも多くの信徒を抱えていることで知られているお寺ですが、これまた人気の高い新撰組と関係があることをご存じでしたか。
この記事では西本願寺と新撰組の関係や西本願寺の見どころについてご紹介します。
気になる御朱印についてもご紹介します。
西本願寺と新撰組の関係
西本願寺は山号を「龍谷山」といい、正式には「龍谷山本願寺」(りゅうこくざんほんがんじ)といいます。
浄土真宗本願寺派の総本山であり、ご本尊は阿弥陀如来です。
ご本尊の安置された阿弥陀堂は国宝に指定されており、1760年に再建された建物です。
そんな西本願寺には1865年より新撰組の屯所が置かれていました。
新撰組といえば何度も映画やテレビドラマ・舞台の題材となりいまでも人気の高い江戸時代末期の警察機構です。
京都の治安維持の他に、反・江戸幕府派の人間を捜索・捕縛するのが主な仕事でした。
当初は少数精鋭でスタートした新撰組ですが、池田屋事件や長州征伐の勃発などにより幕府の信任を得ると隊員が急増し、それまでの屯所は手狭になってしまい、西本願寺に移転することとなります。
移転といっても事実上は北集会所と太鼓楼を占拠している形に近く、境内で堂々と射撃訓練や食用の豚を飼育・肉食まで行っており、宗教関係者にとっては招かれざる客だったようです。
そもそもなぜ西本願寺内に屯所を設けたのかというと、西本願寺が長州藩と親しい関係にあったためです。
西本願寺が織田信長と抗争を続けていた戦国時代、長州藩は西本願寺を支援していました。
その縁で京都における長州藩士の緊急逃げ込み場所としての側面もありました。
倒幕派の筆頭と目されていた長州藩の藩士を監視するためにも西本願寺は最適だったわけです。
結局、西本願寺側が新撰組に新たな屯所を設立する資金を融通することで1867年に新撰組は退去しました。
その後、北集会所は1873年に姫路市内へ移築されたので、現在の西本願寺の中で新撰組に関係する建物というと太鼓楼ということになります。
太鼓楼には今でも新撰組がつけたという刀傷が残っています。
ぜひ探してみてください。
京都を代表する建築群は見どころ!
西本願寺の境内にある建物はそのほとんどが国宝あるいは重要文化財に指定されており、どれも見落とせません。
国宝指定の阿弥陀堂や金閣や銀閣と並んで京都三名閣のひとつをなす飛雲閣、日本最古の能舞台と言われる北能舞台、ふすま絵の見事な雁の間、菊の間、雀の間などがあります。
特別名勝に指定されている虎渓の庭も必見です。
大銀杏の伝説について
西本願寺の巨大な銀杏の木は樹齢約400年と推定されており、天然記念物として京都市に指定されています。
ただ長生きの銀杏ではなく、この銀杏には「水吹き銀杏」の伝説があります。
西本願寺が火災にあったとき、この銀杏から水が噴き出し難を逃れたといいます。
火災によって文化財を失うことが多かった京都ならではの伝説ですよね。
西本願寺の見どころ「八方睨みの猫」
京都のお寺では「八方睨みの龍」が有名ですが、西本願寺には「八方睨みの猫」と呼ばれる、どの角度から見ても自分を睨みつけているように描かれている猫がいます。
それは書院の東狭屋の間です。
天井には様々な形態の書物が描かれているという、本好きは思わずニヤリとする構図の部屋ですが、1枚だけ書物の上に猫が座っている絵があります。
これは書物がねずみに囓られないように守っている猫の姿なんだとか。
仏教において猫は特別な存在のようです。
西本願寺の御朱印について
西本願寺には御朱印は存在しません。
また守りやお札もありません。
常に阿弥陀さまが見守って下さり積極的に人々を救って下さると考えている宗派のため、納経・お守り・お札といったものは不要とする思想があるためです。
ただし参拝記念のスタンプが龍虎殿にありますので、参拝した証が何か欲しいと思った方は頂いておくといいでしょう。
スタンプは3種類あり、「飛雲閣」「唐門」「御影堂・阿弥陀堂」のイラスト入りです。
アクセス方法
西本願寺には境内に参拝者用の駐車場があります。
公共交通機関を利用する場合、市バスだと「西本願寺前」下車、徒歩ですぐ目の前です。
京都駅から西本願寺までは約1.4キロメートルですので、電車を使うと逆に遠回りになります。
京都駅からの移動であれば徒歩が無難でしょう。
歩くのはイヤな場合は市バスかタクシーがおすすめです。
ただしタクシーを使用するには近すぎて、運転手さんによっては嫌な顔をされることもあります。
まとめ
西本願寺と新撰組の関係や見どころについてご紹介しました。
太鼓楼には新撰組がつけたという刀傷が今でも残されています。
新撰組に興味がある方も安土桃山時代の建築物に興味がある方にもおすすめです。
コメントはこちら