下御霊神社のお水に伝説があった!御朱印についても紹介
下御霊神社は怨念を抱いて亡くなった人々を神さまとしてお祀りする、実に日本らしい成り立ちをもつ神社です。
最近この下御霊神社のお水が復活したといわれていますが、そもそもどんな伝説が残るお水なのか知っている人は少ないのではないでしょうか。
この記事では下御霊神社のお水の伝説や御朱印などについてご紹介します。
京都の名水めぐりを考えている方はぜひ参考にご覧下さい。
下御霊神社は病疫退散のパワースポット
863年に下御霊神社が創建された際にお祀りしていたのは、政争によって謀反の冤罪を着せられ刑死した伊予親王と母の藤原吉子でした。
その後、吉備聖霊・崇道天皇・藤原大夫(藤原冬嗣)・橘大夫(橘逸勢)・文大夫(文屋宮田麻呂)・火雷天神(菅原道真)・霊元天皇をお祀りするようになりました。
いずれも国家に対して深い怨念を抱いたまま亡くなったとされる方々です。
そのため下御霊神社は怨霊となってしまった方々を神さまとしてお祀りすることでその魂を鎮めるために創建された神社になります。
さらに摂社・末社が鎮座するようになり、現在では数多くの神さまをお祀りしています。
下御霊神社で授かることができるご利益は、ご祭神にちなみ病疫退散・家内安全・学業成就・家業繁盛です。
古来より氏子の住む地域を巡る神事「還幸祭」が行われ、ご祭神の分霊が宿る神輿が練り歩くさまは多くの文献や絵画に残されています。
行列が通ることにより、災厄を除け地域に安泰をもたらすと考えられています。
神輿の担ぎ手には地元の氏子さんだけではなく、希望者も募集していますので興味のある方は参加してみてはいかがでしょうか。
下御霊神社の感応水にまつわる伝説とは
下御霊神社の手水舎の水はしばらく涸れた状態でしたが、最近になって井戸を復活させ使用できるようになりました。
水を汲んで持ち帰ることもできます。
「おいしい」と評判のようですが、神社側としては飲用に使用する場合は煮沸して欲しいとのことです。
またあくまで参拝の際に身を清めるために使用するお水です。
持ち帰る場合も身を清めたり神棚にお供えするなどに使用して、生活用水代わりに使用しないようにしましょう。
ところでこのお水には伝承があります。
江戸時代の中頃、京の街が干魃に見舞われたときのことです。
下御霊神社の当時の神主さまが夢でお告げを受け、その通りに境内の一角を掘ってみたところ清らかな水がこんこんと湧き出るようになりました。
それ以降、「感応水」(かんのうすい)と呼んでこの水を大切に守ってきました。
現在の手水舎の水はこの感応水が沸いた井戸とは異なりますが、同じ水脈だと考えられています。
独り占めしようとしたり間違った使い方をすると、再び水は湧き出なくなるかも知れません。
水を汲んで持ち帰る場合は、感謝と畏敬の気持ちを忘れないでおきましょう。
御朱印について
下御霊神社の御朱印は2種類です。
通常の御朱印と「京洛八社集印めぐり」の御朱印です。
授与所で頂くことができ、初穂料はどちらも300円です。
受付時間は9:00~17:00ですが、季節や神事などにより前後する場合があるようです。
同じ洛中に下御霊神社と対比して「上御霊神社」と呼ばれる御霊神社が鎮座しています。
見開きで下御霊神社と上御霊神社が並ぶように御朱印を頂くと、両方の御朱印を見比べることができて楽しいですよ。
下御霊神社オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
ただし京洛八社集印めぐり専用の台紙はあります。
台紙は御朱印が1つついて初穂料500円です。
アクセス方法
下御霊神社には参拝者用の駐車場があります。
ただし数台分であまりスペースがなく、節分祭や還幸祭などの神事や初詣の際には利用できなくなりますので注意が必要です。
公共交通機関を利用する場合、市バスだと「河原町丸太町」下車で徒歩5分です。
電車を利用する場合、京阪電車「神宮丸太町駅」下車、徒歩で約5分です。
地下鉄烏丸線を利用した場合、「丸太町」下車、徒歩で約10分です。
まとめ
下御霊神社のご利益やお水の伝説についてご紹介しました。
国家の安泰と都民の幸福というご利益を授かることができる下御霊神社には、干魃で苦しむ民を救うための水脈が存在しています。
お水を持ち帰ることも出来ますが、欲張らずに神さまに感謝して分けて頂くという気持ちを忘れずにお持ち帰り下さい。
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