秋元神社の赦免地踊とは?御朱印はあるの?

最近の投稿

More
秋元神社の赦免地踊とは?御朱印はあるの?

京都の洛北には、全国的に見ても非常に珍しい由来を持つお祭り「赦免地踊」があります。

秋元神社の「赦免地踊」とはいったいどのようなお祭りなのでしょうか。

この記事では奇祭と呼ばれる秋元神社の「赦免地踊」や御朱印の有無、アクセス方法などについてくわしく解説します。

秋元神社は感謝の気持ちを捧げるための神社

秋元神社は八瀬天満宮の境内に鎮座する神社です。

お祀りするのは実在した江戸時代の老中「秋元但馬守喬知」です。

なぜ老中が祀られているのかというと、この老中が在任期間中に八瀬の民を救う裁定を下したためです。

その感謝の気持ちから、老中が亡くなるとその徳をたたえ境内社に祀られるようになったのです。

八瀬天満宮の境内は秋元神社をふくめて9つの摂社をもちます。

授かることができるご利益は合格祈願・病気平癒・開運招福です。

京都中心地から比叡山までの参拝の途中にある神社ということもあり、菅原道真や後醍醐天皇など、歴史上に名を残す多くの人物が立ち寄ったといわれています。

後醍醐天皇が足利尊氏からの攻撃を受け都を落ち延びる際、八瀬の里の民が全力で天皇をお守りしたという伝承も残されています。

古くから地域の歴史を見守ってきた神社です。

秋元神社の赦免地踊とはいったいどんなお祭り?

京都市登録無形民俗文化財である「赦免地踊」は、毎年10月11日(現在では体育の日の直前にあたる日曜日に変更されています)に氏神をお祀りする八瀬天満宮に奉納する踊りを指します。

またの名を「灯篭踊」といって、踊り手は頭に灯篭をのせて踊ります。

洛北の奇祭の1つに数えられます。

踊りの奉納は10:00頃から1回、20:00頃1回、、それぞれ約1時間ほどで終了します。

なぜこのように踊りを奉納するようになったかというと、それは八瀬の村の歴史的な経緯に由来します。

そもそもこの八瀬の村は小さいながらも、後白河法皇の時代から身辺にお仕えする人材を輩出してきた里です。

その功労への感謝の気持ちとして、年貢やその他の課税を免除する綸旨(天皇の命令を受けて蔵人と呼ばれる役人が発行する命令書)が八瀬の里に対して発行されます。

ところが江戸時代に入った宝永4年(1707年)、比叡山延暦寺との間に領土の境界を巡る裁判が起こされます。

裁定を担当した時の老中は八瀬の里に有利な判定を下しました。

小さな村が巨大権力である大寺院より優先されることはかなり珍しい出来事です。

この恩を忘れないため、氏神さまをお祀りする神社に踊りを奉納したため「赦免地踊」と呼ばれるようになったのです。

御朱印について

秋元神社を含め、八瀬天満宮では御朱印を頂くことができないようです。

これは秋元神社の宮司さんが、八瀬を構成する各集落から一年交替で任命されることにも関係がありそうです。

神職に任命されるのは地元の人で、当然のことながらサラリーマンや自営業など職業はさまざまです。

一年の間、通常のお勤めもこなしつつ神社にまつわる様々な神事を取り仕切るんだとか。

その際、毎日どんな天候でも神社にお参りしなければならないのはもちろん、食べ物にさえ制限あるんだそうです。

かなり大変なお役目ですよね。

しかしそれだけに秋元神社や八瀬天満宮が地元に密着し、300年以上前の出来事に対する感謝のお祭りを現在でも続けられる力となっているのでしょう。

アクセス方法

秋元神社は境内社ですので、八瀬天満宮に参拝者用の駐車場があります。

ただし「赦免地踊」のお祭りの日は駐車場は開放されませんので注意が必要です。

公共交通機関を利用する場合、京都バスに乗車して「ふるさと」前下車、徒歩で約2分です。

まとめ

秋元神社の「赦免地踊」について解説しました。

古来より天皇にお仕えし、その縁を今でも大切に感謝の気持ちを捧げるお祭りです。

忙しいと日々の雑事に追われ感謝の気持ちを忘れがちですよね。

秋元神社に参拝すれば、忘れかけていた大切な気持ちに気付くことができるかもしれません。

スポンサードリンク
いつもお読み頂きありがとうございます!

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)