天性寺が「蛸地蔵」の由来とは?御朱印の種類や値段についても解説
岸和田市には「蛸地蔵」の名称で有名な天性寺が鎮座しています。
ユニークな名称ですが、なぜそんな名前がついたのか気になりますよね。
この記事ではそんな天性寺の「蛸地蔵」の由来や御朱印についてくわしくご紹介します。
参拝の参考にどうぞ。
天性寺の歴史
天性寺(てんしょうじ)は浄土宗のお寺です。
山号は護持山、正しくは朝光院天性寺と呼びます。
創建は1570年といわれていますが、江戸時代に起きた火事によって記録が燃えてしまい、確かなところは分からなくなってしまっています。
ご本尊は阿弥陀如来と地蔵菩薩です。
ご本尊である蛸地蔵は秘仏とされており、普段は拝観できません。
ただし「千日大法会」(地蔵盆)が開催される8月23日・24日だけは開帳されますので、気になる方はぜひこの二日間を見逃さずにおでかけしましょう。
この2日間は無病息災と家内安全祈願に訪れる多数の参拝者で境内は賑わいます。
また千日大法会の期間に参拝すると、1000日分のご利益を授かることができるといわれています。
天性寺が「蛸地蔵」である由来とは
天性寺のご本尊「地蔵菩薩」は「蛸地蔵」と呼ばれていますが、それは天性寺に伝わる「タコ」にまつわるお話が関係していると考えられます。
建武年間(1334~1336年)の頃、岸和田城に高波が押し寄せるという災厄が降りかかります。
しかし海の彼方からとつぜん現れた大蛸に乗った法師によって波はせき止められ、岸和田城は危機を脱します。
さらに1584年には、小牧・長久手の戦いに豊臣秀吉が出兵して守りが手薄になった岸和田城に紀州の一向一揆の軍勢が迫ります。
そのとき蛸に乗った法師が蛸の大群を引き連れ登場し、岸和田城を守護しました。
戦いが終わると、法師は忽然と姿を消しました。
岸和田城の守りを任されていた中村一氏は法師の行方を捜しますがなかなか見つかりません。
そんな中、中村一氏の夢の中に法師が現れ、「自分は実は地蔵菩薩である」と告げました。
そのため戦乱から守るために隠していた地蔵菩薩を地蔵堂にうつし多くの人が参拝できるようにしたと伝わっています。
そして蛸にのって人々を度々救ったことから「蛸地蔵」の名で呼ばれるようになりました。
天性寺で願い事を叶えるならタコは食べちゃダメなの?
天性寺の「蛸絵馬」は、蛸の絵柄が描かれた絵馬です。
このタコの画は住職の手書きということもあって、ひとつひとつが微妙に異なる表情をしています。
またこの蛸絵馬にお願い事を託す場合、「蛸を食べずに我慢すると願い事を叶えてくれる」といわれています。
願い事を書いた蛸絵馬を奉納したら、願い事が叶うまではタコは我慢しましょう。
願い事が叶ったら神さまにお礼のために参拝して、帰りがけには我慢した分美味しく感じるたこ焼きやタコ料理を食べるのがおすすめです。
蛸地蔵駅から天性寺に至るまでの道筋にある商店街では、多くのたこ焼き屋さんをみることができます。
天性寺の御朱印
天性寺の御朱印は1種類です。
寺名とともに和歌が添えられており、蛸地蔵のスタンプも現れた珍しいデザインです。
初穂料は300円です。
御朱印は寺務所で頂くことができます。
天性寺オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
天性寺には参拝者専用の無料駐車場があります。
南海本線「蛸地蔵駅」で下車、徒歩で約3分です。
もしくは南海本線「岸和田駅」で下車し、徒歩で約20分です。
まとめ
「蛸地蔵」の名称で知られる天性寺についてご紹介しました。
地蔵菩薩が蛸に乗った姿で人々を救ったという伝説をもつ仏像が安置されているお寺です。
秘仏ですが、8月23・24日だけは拝観可能ですので、ぜひ参拝にお出かけ下さい。
コメントはこちら