香具波志神社のご利益や御朱印の種類や値段について~有名な文学者のお墓も
江戸時代には稲荷信仰が花開きましたが、大阪市淀川区に鎮座する香具波志神社はその中心地でもありました。
歴史上の人物も参拝に訪れており、どんなご利益が頂けるパワースポットなのか気になりますよね。
この記事ではそんな香具波志神社についてくわしくご紹介します。
有名な文学者のお墓もありますので、参拝の参考にどうぞ。
香具波志神社の歴史
香具波志神社(かぐはしじんじゃ)は淀川区加島に鎮座する神社です。
お祀りするのは倉稲魂神・保食神・天照皇大神・稚産靈神・埴山姫神・住吉大神・八幡大神と、たくさんの神々がいらっしゃいます。
創建は959年頃と「加島神社旧記」で言及されています。当初は倉稲魂神・保食神をお祀りする神社でした。
明治期の神仏分離によって寺社仏閣が統廃合された時に住吉講天神の天神社、三津屋の三社八幡神社、そして御幣島の住吉神社を合祀するようになりお祀りする神さまの数も増えたのです。
社名は孝徳天皇がこの地に行幸された際に詠んだ句「かこはしや此花いもみせぬかもやこの花」に由来します。
創建当初は賀具波志大社という名称でしたが、加島大明神と呼ばれるようになり戦国時代に入ると稲荷神社に改称します。
現在の香具波志神社に改められたのは明治期に入ってからです。
江戸時代には関西における稲荷信仰の中心地の1つとして多くの参拝者が訪れ、香具波志神社の祭礼の際に神輿が通ると、西国大名であっても道を譲るといわれました。
香具波志神社は商売繁盛・勝運のご利益を授かることができるパワースポット
香具波志神社にお祀りする倉稲魂神は「お稲荷さん」の名称で広く信仰を集めている神さまです。
そのため商売繁盛のご利益を授かることができます。
また勝運や厄払いのご利益でも知られています。
特に勝運祈願については様々な伝説が残されています。
たとえば『太平記』によると、1351年頃に楠木正成の三男である正儀は、このお社の森で必勝祈願を行い見事に佐々木秀詮との戦いで勝利をおさめたといわれています。
境内に鎮座する末社「岩木神社」はツリーハウスのようにおおきな木の切り株にお社が鎮座する独特のスタイルで、木霊神と地神をお祀りしています。
かつてはこの楠に楠木正儀は愛馬をつなぎ、香具波志神社に参拝したといわれています。
残念ながら楠は1967年に枯れてしまい、その切り株だけが残され岩木神社が建てられました。
また戦国時代には三好長慶が戦勝祈願に香具波志神社へ大鳥居を奉納しています。
現在は沓石のみが残されています。
香具波志神社には上田秋成の墓がある?
香具波志神社には藤家孝(神職)が建てた上田秋成の墓や「上田秋成寓居跡碑」が残されています。
上田秋成とは江戸時代の国文学者です。
代表作は『雨月物語』『春雨物語』です。
『雨月物語』におさめられた短編「白峯」や「吉備津の釜」などからは様々な派生物語が生まれ、今なお様々なアプローチで映像化や舞台化がされている傑作古典といえます。
上田秋成は幼少期、天然痘で死にかけましたが香具波志神社に病気平癒祈願を行い助かったという言い伝えがあります。
その後、上田秋成は68首もの和歌をこの神社に残したり神職の招きで1773年から3年間ほどこの地に逗留するなど密接な関わりがありました。
香具波志神社の御朱印
香具波志神社で頂ける御朱印は1種類です。
社名が墨書きで入り、社紋であり社名の由来となった橘の花と、稲荷社のトレードマークでもある宝珠の朱印があしらわれたデザインです。
初穂料は300円です。
香具波志神社オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
香具波志神社には参拝者専用の駐車場はありません。
車で参拝する場合は、近くのコインパーキングを利用しましょう。
公共交通機関を利用する場合、JR東西線だと「加島駅」下車、徒歩で約10分です。
まとめ
香具波志神社についてご紹介しました。
商売繁盛や勝運、厄払い、病気平癒のご利益を授かることができるパワースポットです。
また国文学者として有名な上田秋成のお墓もあります。
歴史や文学に想いを馳せることのできる静謐な雰囲気のお社です。
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