善福寺(天王寺区)は別名「どんどろ大師」!名前の理由を知ろう
天王寺区に鎮座する善福寺は「どんどろ大師」という通り名で有名なお寺ですが、不思議な名称ですよね。
なぜこのような名称がついたのか気になります。
この記事では善福寺の通り名「どんどろ大師」の由来やお寺の歴史、御朱印についてご紹介します。
参拝の参考にどうぞ。
善福寺の歴史
善福寺(ぜんぷくじ)は真言宗のお寺で、山号は「如意山」です。
正式には「甘露院善福寺」ですが、「どんどろ大師」の名で呼ばれることの方が多く、宗教法人の登録名も「どんどろ大師善福寺」となっています。
創建は778年、聖徳太子による建立とされています。
ご本尊は弘法大師です。
当初は豊能郡豊能町に鎮座していましたが、1909年に現在の場所へと移転してきました。
もともとのご本尊は薬師如来でしたが、太平洋戦争時に焼失してしまいます。
その後に弘法大師へと改められました。
境内には勝軍地蔵尊という名称の勇ましいお地蔵さまが鎮座しています。
勝軍地蔵尊は戦勝祈願のご利益があるとして特に徳川家が厚く信仰していたことで知られるお地蔵さまです。
善福寺はなぜ「どんどろ大師」?
もともと現在の善福寺が鎮座していた場所は、大阪の役で築城された真田丸の北の端です。
この場所に1752年、大坂夏の陣の戦死者を弔うために鏡如庵大師堂が建てられました。
しかし1873年には廃庵となり、お寺に改められましたがこちらも廃寺になり、その後善福寺が移転してきました。
この鏡如庵大師堂こそ通称がどんどろ大師だったのです。
なぜどんどろ大師と呼ぶのかは、はっきりとは分かっていないです。
ただし一説によると、1834年頃大阪城代として着任した土井利位の屋敷が鏡如庵大師堂の近くにあったこと、また鏡如庵大師堂にお祀りする弘法大師を厚く信仰していたことなどから「土井殿近くにあるお大師さま」と呼ばれるようになりました。
そしていつの頃からか「どんどろ大師」と呼ばれるようになったともいわれています。
また鏡如庵大師堂はかつての歌舞伎の演目の1つである「傾城阿波の鳴門」の一場面の舞台ともなった場所です。
現在でも門前にはお弓とおつるの像が飾られています。
善福寺が鏡如庵大師堂の跡地に移転してきた際、その異名も受け継ぎ「どんどろ大師」と呼ぶようになりました。
それだけ地域に定着した呼称だといえます。
善福寺の御朱印
善福寺の御朱印は2種類あります。
「どんどろ大師」(摂津国八十八箇所第11番)の墨書きが入ったものと、「勝軍地蔵尊」の墨書きが入ったものです。
どちらも初穂料300円です。
善福寺の本堂は2階建てになっており、御朱印は建物前の階段を使って2階に上がり、本堂内の納経所で頂けます。
善福寺オリジナルデザインの御朱印帳は現在のところありません。
アクセス方法
善福寺に参拝者用の駐車場はありません。
車で参拝する場合は近くのコインパーキングなどを利用しましょう。
公共交通機関を利用する場合、大阪メトロ「玉造駅」下車、徒歩で約7分です。
もしくは大阪環状線「玉造駅」下車、徒歩で約10分です。
バスだと「清水谷町」バス停下車、徒歩で約4分です。
周辺には真田幸村の菩提寺である心眼寺や真田丸に縁の深い三光神社など、歴史好きにはたまらないエリアとなっています。
ゆっくりと散策したい場所です。
まとめ
善福寺についてご紹介しました。
「どんどろ大師」の異名をもちますが、この呼称は善福寺が移転する前に鎮座していた鏡如庵大師堂の異名です。
鏡如庵大師堂近くに住んでいた江戸幕府の役人が弘法大師に深く帰依していたことからついた呼称だといわれていますが、はっきりしたことは分かっていません。
ただ、地域の人々に愛されてきたお寺がこの地にあった名残を感じさせる名称であることは明らかです。
参拝の折には地名から歴史に想いを馳せてみて下さい。
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