国仲御嶽は竹富島のパワースポット~ほかの御嶽との違いとは?
石垣島は数々の魅力的な島々から構成されている沖縄でも人気の観光スポットです。
石垣島を拠点に特色ある島々を巡ることができますが、中でも竹富島は御嶽信仰が現在も生きるパワースポットです。
この記事ではそんな竹富島のパワースポットの中でも別格とされる国仲御嶽についてご紹介します。
何が他の御嶽とは違うのか知ることで、竹富島をはじめとする八重山諸島の歴史を理解することができます。
国仲御嶽は竹富島の守護神を祀るパワースポット
国仲御嶽は「ふぃなーおん」と呼ばれ、竹富村の守護神を祀る御嶽です。
竹富島には約28もの御嶽があるといわれ人々の生活に深く根ざしていますが、中でも国仲御嶽は最高の格をもつパワースポットとして知られています。
祭事の際には必ず竹富公民館執行部と神司が訪れ祈りを捧げます。
竹富村では特に他の地域より御嶽信仰は古来よりの習慣を受け継いでいます。
そのため御嶽内部は聖域であり、立ち入りが制限されている場所が多いです。
鳥居が立っていますが、日本本土の神社とは異なり「玄関口」ではなく「神域のため立ち入り禁止」を示しています。
そのため鳥居から先には立ち入らないようにしましょう。
人の出入りが制限されていることもあり、敷地内にはフクギやリュウキュウマツなど約60種類以上の植物に覆われており自然な森に最も近い生態系を維持しているといわれています。
国仲御嶽と他の御嶽の違い
国仲御嶽は他の御嶽と異なり、首里城に鎮座している園比屋武御嶽の神を勧請しお祀りしています。
伝承によると、竹富村出身の技師・西塘(にしとう)は琉球王府下で出世したものの故郷への帰還を願い、首里城にある園比屋武御嶽の神に祈り続けました。
その結果、竹富村の統括に派遣される形で故郷に凱旋します。その感謝の気持ちを示すため、国仲御嶽を制定したといいます。
歴史的・政治的な観点から見ると、八重山諸島に住む人々にも琉球王国の神さまを参拝させることで、琉球王国の習慣や支配を浸透させるという狙いがあったのではないかと考えられます。
実際に国仲御嶽では季節の移り目ごとに役人が参集し、琉球王国の繁栄と琉球国王の無病息災を祈願する儀典が行われました。
他の御嶽は純粋に自分たちの祖先や自然に宿る力に祈りを捧げるための場所であるのに対し、国仲御嶽は国策のために利用された御嶽のひとつと言えます。
なぜ竹富島に国仲御嶽が作られたのか
ところでなぜ竹富島に国仲御嶽のような、琉球王府に直接つながる重要な御嶽が作られたのでしょうか。
それは国仲御嶽の創健者である西塘の出身地が竹富島ということもあり、かつては竹富島に八重山諸島を統治する中心的な役所が置かれていたためです。
八重山諸島の中心地である竹富島に国仲御嶽を作りましたが、その後地理的な問題で政治の中心地は石垣島にうつり現在に至ります。
国仲御嶽へのアクセス方法
国仲御嶽は竹富東港から西に約1kmほど進んだ先、竹富島のほぼ中央に鎮座しています。
集落を囲む環状道路の途中で鳥居が見えてきます。
竹富島までのアクセス方法ですが、石垣島の石垣港離島ターミナルから高速船もしくはフェリーに乗船し竹富東港に向かいます。
所要時間は高速船で約10分ですが、天候によってはかなり激しく揺れますので酔い止め薬は必須です。
新石垣空港から石垣港離島ターミナルまでは路線バスで約40分です。
まとめ
竹富島の国仲御嶽についてご紹介しました。
国仲御嶽は琉球王府の神さまを勧請してつくられた御嶽で、他の御嶽とは異なり琉球王府と直接つながった御嶽です。
本来の御嶽がもつ先祖崇拝や自然信仰とは若干趣が異なりますが、古来より多くの人が祈りを捧げてきたという点では強力なパワースポットといえます。
鳥居の先は禁域ですので、参拝する際は奥まで進みすぎないように注意しましょう。
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