今帰仁・諸志の赤墓(赤御墓)は何が赤い?埋葬されている人は誰?
今帰仁村諸志の海岸は白い砂浜と透明度の高いコバルトブルーの海のコントラストが南国らしさ南国らしさ満天の、観光客がいない穴場スポットです。
まるでプライベートビーチを独り占めしているかのような贅沢な時間が過ごせますが、琉球王国に関係する史跡も存在しているんです。
この記事ではそんな諸志の赤墓についてくわしくご紹介します。
いったいどんな人が埋葬され、なぜ赤いのでしょうか。おでかけの参考にどうぞ。
諸志の赤墓には尚円王の弟が埋葬されている
諸志の赤墓(しょしのあかばか)あるいは赤御墓(あかうはか)と呼ばれる墓は、諸志の海岸に鎮座する墓です。
琉球王国は中山王・尚巴志によって創建されますが、その後クーデターを経て第二尚氏王統が成立します。
この第二尚氏王統の初代国王が尚円王です。
諸志の赤墓に埋葬されているのはその尚円王の弟、上間大親(うえまうふや)です。
諸志の佐田浜海岸沿いにある崖の形を利用して作られた墓で、この墓の名をとり付近は「赤墓ビーチ」とも呼ばれています。
諸志の赤墓は伊是名島に向かってつくられていますが、これはこの墓に葬られた尚円王一族の出身が伊是名島であることにちなんでいるそうです。
晴れた日には海の向こうに伊是名島がきれいに見えます。
なぜ王族の墓が諸志にあるの?
尚円王は内乱寸前の琉球王国をまとめあげ、聞得大君を頂点とするノロ制度を確立するなど琉球王国の文化の礎を築いた偉大な王です。
その弟である上間大親は当然、王族の一員ということになります。
なぜ諸志にお墓があるのでしょうか。
それにはこんな逸話が残されています。
1500年頃当時、琉球国王だった尚真王は船に乗って琉球北部を巡幸中でした。
ところが嵐に見舞われ、絶体絶命のピンチに陥ります。
王の危機を察知して助けに来てくれたのが近くに住んでいた上間大親親子です。
無事に救助された王は改めて彼らの素性を聞き、自分にとって彼が偉大な父の弟、すなわち叔父にあたる人物であることを知り、その縁と勇気にいたく感動します。
そして首里にふさわしい役職と屋敷を用意するから一緒に来て欲しいとお願いしますが、上間大親は辞退し息子だけを首里に送り出します。
そのため尚真王は赤墓を贈り、周辺の土地も一緒に贈ったとされています。
史実によると尚円王の弟は尚宣威ひとりということになっていますが、尚円王には複数の側室がいたので王の系統図に記されていない異母弟がいても不思議ではありません。
諸志の赤墓はなぜ赤いのか
諸志の赤墓は赤い色の漆喰が使用された御拝領墓です。
普段は目にすることができませんが、墓室の中に納められた棺も赤い色をしているそうです。
この見た目から「赤墓」と呼ばれるようになりました。
琉球の文化では「赤」は高貴な人、尊厳のある人にのみ使用が許可された特別な色です。
御拝領墓そのものが国王から贈られるもので、特別なはたらきをみせた人に与えられる名誉です。
つまり赤色で塗られたこの墓に高貴な人が眠っているということを示しているのです。
現在は残念ながら色合いが失われておりその高貴な色を目にすることはできませんが、香炉が置かれておりゆかりのある人が時折祈りを捧げに訪れているんだろうな、という様子が覗えます。
諸志の赤墓へのアクセス方法
諸志の赤墓が鎮座しているビーチの場所は沖縄県国頭郡今帰仁村諸志583です。
那覇市内からは国道58号線を利用して名護方面へと進み、84号線→72号線経由で今帰仁村方面へ進みます。
諸志地区に入ると道沿いに案内標識が見えてきますので、海沿いを目指して進むといいでしょう。
ただし背の高い草に覆われて見えにくくなっている案内標識がありますのでゆっくり探してください。
専用の駐車場はありませんので、周辺の空きスペースに車を停めることになります。
邪魔にならないように注意しましょう。
また観光地化されていない穴場スポットのため、売店や更衣室、トイレはありません。
参拝のついでにシュノーケリングや浜遊びを計画している人は考慮して計画を立てましょう。
まとめ
諸志の赤墓についてご紹介しました。
高貴な人にのみ許された赤色が使用された墓で、尚円王の弟と伝わる上間大親が祀られています。
故郷であるとされる伊是名島まで見通すことができる静かなビーチでのんびりと散策がてら参拝に出かけるにはちょうどよい場所です。
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