大北墓(うーにしばか)は別名按司御墓(あじうはか)~埋葬されている人や行き方とは?
今帰仁村には古墳が数多くあり、保存状態が比較的良いものが多く沖縄の歴史的変遷を考察する上で重要な史料となっています。
この記事ではそんなお墓の中から大北墓についてご紹介します。
按司御墓と呼ばれることもありますが、一体どんな人々が埋葬されているのでしょうか。
行き方もご案内しますので、お出かけの参考にどうぞ。
大北墓は北山監守の眠る墓
大北墓は「うーにしかば」あるいは「うーにし」と呼ばれる墓です。
また「按司御墓」(あじうはか)と呼ばれることもあります。
今帰仁村指定の文化財の1つです。
岩をくりぬいて造られた「掘込墓」様式で、極めて格の高い墓だということが一見して分かります。
埋葬されているのは代々、北山監守を務めてきた琉球国王の分家やアオリヤエだと考えられています。
本来は今帰仁城跡の麓にあるウツリタマヒに建造された墓でしたが、天井が崩落したため1761年に入ってから今帰仁王子(十世北山監守の宣謨、せんも)によって拝領墓に建て替えられました。
墓は南西に向かって建てられており、墓庭と墓室から構成されています。
監守やアオリヤエはどんな役職だったのか
大北墓には琉球王国の第二尚氏時代に監守を務めた琉球王家分家の具志川御殿を埋葬していると考えられています。
よりくわしく見てみると、埋葬されているのは2世と4世から7世までです。
北山監守は別名「今帰仁按司」と呼ばれているため、墓も「按司墓」の別名で呼ばれることがあります。
「按司」とは高貴な血族を指す言葉で、王家の分家や王子、未婚の王族女性などに用いられた尊称でもあります。
また親戚にあたる神職の女性「阿応理屋恵」(アオリヤエ)も一緒に埋葬されています。
阿応理屋恵は琉球王国の祝女(ノロ)の頂点に存在する聞声大君を補佐する上級聖職者三十三君のひとりで、琉球王国における信仰を司る重要な人物でした。
政治的に重要な地位にいる人物ばかりが埋葬された墓であることは間違いないようです。
その他の北山監守はどこに埋葬されたの?
ところで気になるのは、「大北墓に埋葬されなかった監守はどこに埋葬されたのか」という点です。
まず初代北山監守・尚韶威は首里にある玉陵(たまうどぅん)に埋葬されています。
初代北山監守は第二尚氏の初代王の弟にあたる人物であるため、王の希望により死後は一家の墓に一緒に入ったのだと考えられます。
一方3世・尚和賢は今泊集落にある津屋口の墓に埋葬されています。
そして8世以降になると末吉の墓に埋葬されています。
3世だけが別に埋葬された理由については、病気に罹患されていたなど様々な説があり、現在もはっきりとしたことは分かっていません。
8世以降が埋葬された墓は現在は太平洋戦争などの混乱により現存しているかどうかさえ不明になっています。
行き方
大北墓は国頭郡今帰仁村運天にあります。
運天港からは約1.3kmほど離れており、歩くと約20分ほどかかります。
運天港周辺は源為朝上陸の碑や百按司墓など沖縄の歴史を知る上で貴重な遺構が数多く点在していますので、運天港に車を駐車したら周辺をのんびり散策するのがおすすめです。
島と島をつなぐ古宇利大橋も眺めることができます。
那覇空港から運天港までは車で約1時間30分ほどです。
505号線添いに進むと道路案内標識が見えてきます。
那覇空港からの高速バス「やんばる急行バス」を利用すると、終点の「運天港」までは約2時間35分、2000円です。
まとめ
今帰仁村にある大北墓についてご紹介しました。
代々の北山監守と上級ノロが埋葬された大北墓からは北部沖縄の歴史的変遷について知ることができます。
また大北墓周辺には数々の遺構があり、散策には最高のロケーションでもあります。
旅の予定を立てるときはぜひ時間に余裕を持ってスケジュールを組んでおいてください。
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