場天御嶽の地理とイビの森にあった歴史とは?たまに馬天と呼ばれる理由
東御廻りの拝所のひとつでもある場天御嶽はガイドブックなどによっては「馬天御嶽」とも表記されていますが、なぜでしょうか。
正式名称がどちらなのか気になりますよね。
この記事では場天御嶽の地理や歴史についてイビの森の情報を含めてくわしくご紹介します。
観光の参考にどうぞ。
場天御嶽は琉球国王のルーツともいえる聖域
場天御嶽は東御廻りの拝所の1つです。
中山王・尚巴志の祖父にあたる佐銘川大主(さめがわおおぬし)を神さまとしてお祀りしています。
尚巴志はやがて三山を統一し、琉球王国を築いたことでも知られています。
イビの森の中に様々な拝所が配置されています。
琉球王国を舞台にした小説「テンペスト」の中で、登場するキーアイテム「場天ノロの勾玉」とはこの場天御嶽のノロが持つ勾玉という設定ですね。
亜熱帯気候の植物が生い茂る森は、聖地とされたのも納得の清浄な空気が満ちている場所です。
本来、御嶽とは神さまが舞い降りた場所であると共に祖先をお祀りする神聖な場所です。
琉球王国ではじまった東御廻りに国王の血族が関係する御嶽が含まれるのは祖先崇拝の強い沖縄では自然な流れだったのでしょう。
場天御嶽は新里集落にある聖域!馬天集落と関係はあるの?
ところで場天御嶽を示す案内標識などは「場天御嶽」という表記ですが、ガイドブックはものの本の中には「馬天御嶽」と表記しているものもあります。
どちらが正しいかというと、「場天御嶽」になるのですがなぜこんな状況になったのでしょうか。
それはかつての地名が「場天」だったのに対し、最近「馬天」という地名に改称されたためです。
沖縄以外であってもたまに地名を示す漢字が変わることがありますよね。
とはいえ場天御嶽は由緒ある聖地の名称ですので、ムリに現状に併せて表記を変えなくてもいいのではないでしょうか。
また場天御嶽が鎮座するのは新里集落で、馬天集落とは1㎞ほど離れています。
なぜ鎮座する地名と御嶽の名称がずれているのかについては、その歴史に理由があります。
歴史については次でくわしく説明します。
場天御嶽の歴史とイビの森について
場天御嶽にあるイビの森は本来、この集落の氏神をお祀りしていた森です。
しかし1959年に通過した台風で辺り一帯が土石流に飲み込まれ甚大な被害を受けます。
そのときに周辺の拝所をイビの森に集めて改めてお祀りすることになりました。
そのため現在のイビの森に場天御嶽とそこに祀る佐銘川大主、その屋敷の拝所である上場天御井戸(うぃーばてぃんうがー)、下場天御井戸(しちゃばてぃんうがー)、そしてお祀りしていた伊平屋神(いひゃがみ)、御天竺神(うてぃんぢくがみ)が引っ越してきたのです。
つまりもともと現在の場所に鎮座していたのはイビの森で、場天御嶽はあとから引っ越してきたということになります。
このような歴史が原因で、馬天集落には場天御嶽がないという部外者にはややこしい状況になってしまったと考えられます。
とはいえ神さまのお引っ越しそのものはあまり珍しいことではありません。
やはり神聖な存在である神さまが下界に舞い降りる際には、より心地よい場所に移動して頂きたいですよね。
アクセス方法
那覇空港から場天御嶽までは約19㎞、車で約45分です。
国道329号線を経由して331号線には入るとあらわれる案内標識にそって進むと辿り着きます。
駐車場は完備されていませんので、周辺住民の方に邪魔にならないように十分注意して車を停めるようにして下さい。
森の中にある御嶽ですので、歩きやすい運動靴などで出かけるようにしましょう。
まとめ
場天御嶽についてくわしくご紹介しました。
琉球王国の基礎となった中山王の祖先を祀る聖地でもあります。
本来はイビの森と呼ばれる聖地でしたが、災害によって場天御嶽が移転してきたという経緯を持ちます。
現在でも多くの人々が祈りを捧げる場所であり、癒やしのエネルギーを授かることができるパワースポットです。
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