奥武観音堂には金色の観音様があった!その歴史をご紹介
南城市の沖合に浮かぶ奥武島は「沖縄天ぷら」や「もずく」が人気の観光スポットです。
小さな島ではありますが人々の信仰を集めるお堂が鎮座しており、かつては金色の観音様をお祀りしていました。
この記事ではそんな金色の観音様にまつわる歴史をもつ奥武観音堂についてご紹介します。
奥武観音堂の歴史
奥武観音堂(おうかんのんどう)は1620年頃の創建と伝わるお堂です。
「奥武島観音堂」とも呼ばれ、南城市の沖合に浮かぶ周囲1.6㎞の小さな島「奥武島」に鎮座しています。
奥武島は離れ島ではあるものの、本土からは橋でつながっているので気軽に出かけることができると人気を集めている観光スポットでもあります。
旧暦5月4日には例祭「奥武島ハーリー(奥武島海神祭)」が行われ、島民の繁栄と健康祈願、そして豊漁や航海の安全の祈願が行われています。
島民のための祭事ではありますが、島外からも人気の高いお祭りで開催期間中は多くの参拝者で島全体がにぎわいます。
また5年に一度、「奥武観音堂祭」が行われています。
これは島の守り神に感謝を捧げるお祭りで、島民全体が参加してスーマチやウシデークなどの伝統芸能を奉納します。
境内には複数の拝所があり、日頃から祈りを捧げる地域住民の姿を見かけます。
現在でも奥武観音堂は地域の人々からの信仰を集めているのです。
奥武観音堂と金色の観音様
かつて奥武観音堂には金色の観音像が祀られていました。
この観音像は17世紀頃に奥武島に漂着した唐の船の乗組員を島民が救出したことへのお礼として唐から琉球王国を通して贈られたものです。
島民により篤く信仰されていましたが、残念ながら沖縄戦によって焼失してしまいました。
一説によると、戦後の混乱期に全身が金色であったために米軍によって接収されてしまったともいわれています。
現在では陶器製の観音像が金色の観音様の代わりに祀られています。
陶器ではあるものの金色に彩色され、当時の輝きを偲ぶことができます。
アクセス方法
奥武観音堂には参拝者用の駐車場があります。
車で移動する場合、那覇空港からは高速道路を利用し「南風原南IC」下車、県道48号線から国道331号線を経由して約30分で奥武観音堂です。
公共交通機関を利用する場合、那覇バスターミナルからは53番線志喜屋線に乗車して「奥武」下車、徒歩で約5分です。
バスターミナルからバス停までは約50分ほどです。
まとめ
奥武観音堂の歴史についてご紹介しました。
日本と中国をつなぐ不思議な縁によって贈られた金色の観音さまは残念ながら戦火によって失われてしまいましたが、奥武観音堂へ現在でも島の人々の祈りの場として機能しています。
沖縄グルメを堪能するだけではなく、祈りの文化も体感しにぜひ奥武観音堂にお出かけ下さい。
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