日本女子大学の場所は目白台。広岡浅子は創設者ではなかった!

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日本女子大学の場所は目白台。広岡浅子は創設者ではなかった!

広岡浅子という人物をご存知でしょうか。そうです、NHKで放送されている朝ドラ「あさが来た」で女優、波瑠さんが演じる主人公あさのモデルとなった人物です。原案となったのは古川智映子著の小説「土佐堀川」です。

明治の女傑とも謳われた広岡浅子。それでは果たして彼女はどんな偉業を達成したのでしょうか。今回は広岡浅子の歴史を紐解くと同時に、創設者と力を合わせて設立に尽力した日本女子大学の概要等をご紹介したいと思います。

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広岡浅子ってどんな人?

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出典:http://www.jprime.jp/tv_net/drama/19627

明治時代、女性が社会の表舞台に立つことは極めてまれなことでした。そんな中で広岡浅子はその手腕をいかんなく発揮し、実業家として独り立ちを果たしました。

実業家となるきっかけ

きっかけは嫁ぎ先の豪商、賀島屋が大政奉還の煽りを受け、現在の4,500億円に相当する借金を背負ってしまったことでした。広岡浅子は家運を背負い立ち上がり、少しでも借金を減らそうと奔走しました。ここが彼女の人生の分岐点だったとも言えるでしょう。

炭鉱の経営に参画

広岡浅子は炭鉱事業の経営に乗り出し、それのみならず護身用のピストルを懐に、坑夫たちと寝起きを共にするという離れ業をもやってのけました。狂気じみた行動はやがて実を結び、賀島銀行や今なお現存する大同生命の創業にも尽力しました。

日本女子大学の設立

幼い頃、女であることを理由に学問を禁じられた広岡浅子は時代を変革すべく、女子の教育と地位向上に全力を注ぎました。その結果建てられたのが日本女子大学です。この学校は女性の社会進出の礎ともなった偉大な場所なのですね。日本女子大学の創設者は実は広岡浅子ではなく、成瀬仁蔵という人物。勘違いされていらっしゃる方が多いようですので、ご注意下さいね。

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日本女子大キャンパスの概要

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出典:https://www.jwu.ac.jp/grp/access.html

住所:東京都文京区目白台二丁目8-1

1901年、日本女子大学は日本初の組織的な女性教育機関として設立されました。キャンパスは目白と生田にあり、「本女(ぽんじょ)」「日女(にちじょ)」と略されることが多いそう。「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」を建学理念として掲げ、その理念は今も尚受け継がれ続けています。

日本女子大が目白台にできた経緯

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出典:http://www.jwu.ac.jp/unv/facilities/naruse_memorial/tenji/2012/12302.html

1896年、初代校長でかつ創設者である成瀬仁蔵が「女子教育」を出版し、それに共鳴した広岡浅子が様々な場所に協力を呼びかけ、早稲田大学の創立者でもある大隈重信や、総理大臣であった伊藤博文などの援助を受けることに成功します。

土地に関しては実家の三井家に寄付を願い、見事それを果たし、様々な人の協力の下、日本女子大学は設立されるに至りました。

まとめ

広岡浅子はなかなか破天荒な人物であったようですが、女性の社会進出に貢献するなど今なおその精神は脈々と受け継がれているのを感じますね。日本女子大学が設立されて100余年たった今、日本は彼女の功績を思い出すべきなのかもしれませんね。

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