今帰仁・テンチギの御嶽「テンツギノカナヒヤブノ御イベ」とは?
今帰仁村には今帰仁グスクをはじめ、ノロの殿内(屋敷)など琉球王国の支配がどのような形で行われていたのか歴史的な経緯を知ることができる遺跡が数多く残されています。
戦争によって多くの文化財が失われてしまった沖縄では貴重なスポットといえます。
この記事ではテンチギの御嶽や祀っている「テンツギノカナヒヤブノ御イベ」についてご紹介します。
どんな場所でどんな特徴があるのかお伝えしますので、今帰仁エリアの観光の参考にどうぞ。
テンチギの御嶽は今帰仁城の守護神
テンチギの御嶽は今帰仁城跡に鎮座する2つの御嶽のうちの1つです。
主郭にある御内原に鎮座し、かつては男子禁制の聖地でした。
現在でも聖地であることに変わりはなく、祝女(ノロ)による祭祀が執り行われ、多くの人々が祈りを捧げる姿を見ることができます。
お祀りする神さまの名前は「テンツギノカナヒヤブノ御イベ」です。
古い時代にはカナヒヤブと呼ばれていましたが、やがて時代が下るごとにテンチジアマチジあるいはテンチギと呼ばれるようになりました。
また「城内上之御嶽」と呼ばれることもありますが、これは今帰仁城跡にもう一つある御嶽「城内下之御嶽」(ソイツギ)とセットで呼ばれるときの名称です。
どちらの御嶽も今帰仁城の守護神をお祀りする聖地であり、家内安全と子孫繁栄を祈願するためのパワースポットです。
テンチギの御嶽は開闢2番目につくられた御嶽
テンチギの御嶽は今帰仁城跡に鎮座していますが、この今帰仁城跡は琉球神話に登場する創世の神・アマミキヨ(阿摩美久、アマミクとも呼ばれる)によって築城されたとする伝説を持つ御嶽です。
アマミキヨははるか東の彼方、神々の世界であるニライカナイより南城市の久高島に降り立ち、やがてヤハラヅカサより沖縄本島に上陸したとされています。
そして沖縄各地を転々としながら、子孫繁栄や稲作文化の普及などに努めた神さまだといわれています。
まさしく沖縄を生み、育てた神さまです。
アマミキヨは各地を転々としながら、神や先祖の霊に祈るための聖地も生み出していきました。
それが御嶽です。
テンチギの御嶽はアマミキヨが二番目に生み出した(琉球開闢)御嶽だと伝えられています。
首里王府が編纂した『中山世鑑』によると、まずアマミキヨは辺土ノ安須森を、そしてその次にカナヒヤブ(テンチギの御嶽)を生み出したと記載されています。
国つくりの七御嶽と琉球七御嶽の違い
ところで琉球開闢神話と聞いて「私の知っている7つの御嶽と名称が違うぞ」と思った方もいるかもしれません。
厳密にはテンチギの御嶽は「国つくりの七御嶽」のひとつであり、「琉球七御嶽」とは異なります。
具体的にはどんな聖地が含まれているのかご紹介します。
巡礼の際の参考にどうぞ。
【国つくりの七テンチギの御嶽】
①国頭村安須森御嶽
②テンチギの御嶽
③知念森・斎場嶽・藪薩の浦原
④玉城のアマチヂ
⑤久高島のクバの御嶽
⑥首里城の首里森御嶽、真玉森御嶽
⑦嶋々の御嶽
【琉球開闢七御嶽】
①安須森御嶽
②クボウ御嶽
③斎場御嶽
④藪薩御嶽
⑤雨つづ天つぎ御嶽
⑥クボー御嶽
⑦首里真玉森御嶽
テンチギの御嶽への行き方
テンチギの御嶽は今帰仁城跡内にあり、場所は国頭郡今帰仁村字今泊5101番地です。
那覇空港からは約110㎞ほどあり、車で出かけると2時間45分ほどかかります。
無料駐車場が完備されており、道路案内標識も整備されています。
公共交通機関を利用する場合、バスを使用すると「今帰仁城趾入口」バス停で下車、徒歩で約15分、約1㎞ほどです。
今帰仁城趾は入場料が必要です。
大人は400円、小学生~高校生は300円です。
まとめ
テンチギの御嶽についてご紹介しました。
開闢2番目につくられた古来より存在する御嶽で、今帰仁上りの拝所の1つでもあるテンチギの御嶽は現在でも人々が祈りを捧げるパワースポットです。
家内安全や子孫繁栄、五穀豊穣を祈る現在でも信仰を集めている聖地ですので、参拝する際は敬意をはらった行動に注意しましょう。
コメントはこちら