宮古島の島尻元島とンナカガーは見落としやすい?場所を確認しよう
宮古島は美しい自然に恵まれているだけではなく、漲水御嶽など数々のパワースポットがあり聖地巡礼の地としても知られています。
見どころたっぷりですが、今回は中でも見落としやすい島尻元島とンナカガーについてご紹介します。
場所についてくわしくお伝えしますので、おでかけの参考にどうぞ。
島尻元島は宮古島発祥のルーツを探れるかもしれない史跡
島尻元島(しまじりもとじま)は島尻集落の発祥地と言われている場所です。
島尻集落とは宮古島北部にある地区で、狩俣集落も含み南北に長いエリアです。
漁業が盛んで、集落にある島尻漁港は池間島や大神島へ向かうための海の玄関となっています。
現在は全ての世帯が元島を離れてしまったため、住民はいません。
太平洋戦争直後までは7世帯ほどが住んでいました。
現在では旧暦10~12月の間に年間5回ほど先祖の霊を祀るための神事が執り行われています。
島尻集落の発祥地と考えられているものの、島民がいったいいつ頃、どこからやって来たのかについてはまだハッキリと分かっていません。
島尻元島だけではなく宮古島そのものがいったいいつ頃どこから人々が現れ住むようになったのかは、まだ研究途中です。
島尻元島に住んでいた人々がどこからやって来たのか研究することは、宮古島にいつ頃から人が住むようになってきたかを考える上で重要な史料になると考えられています。
宮古島の伝統的な祭祀として知られるパーントゥ・サトゥプナハ(里願い)では最初に、島尻元島にあるフツムトゥの祭祀屋のまえで厄払い開始の祈願を行います。
人は住まなくなっても、先祖伝来の地として大切にされていることが分かります。
パーントゥ・サトゥプナハ(里願い)は悲鳴と歓声がとびかう祭り
パーントゥ・サトゥプナハ(里願い)とは「泥祭り」の異名を持つ悪霊払いの儀式です。
宮古島の中でも特に平良島尻と上野野原の2つの集落で執り行われていますが、内容が違います。
来訪神のパーントゥに扮した青年が3人、全身に泥を塗って集落を練り歩き悪霊を祓うとされる身に纏う泥を撒き散らします。
この泥は「産まれ泉」と呼ばれている場所から採取した神聖なものですが、強烈な悪臭を放ちます。
最近ではユネスコ世界遺産への登録を目指すなど知名度が上がったために観光客が増えたものの、祭りの主旨を理解していないことが多く数々のトラブルが起きています。
一時期は中止も検討されましたが、現在は島の外への告知を控えたりパーントゥに護衛をつけるなどして、集落の人々のための祭祀として続行されています。
ンナカガーは島尻元島の生命線
島尻元島には井戸や泉などの湧水がありません。
しかし人間が生きていくには真水が欠かせません。
島民はどこから生活に必要な水を得ていたのでしょうか。
それは元島から南へ20kmほど離れた畑の中です。
この畑にある井戸から水を得ていたと考えられています。
この井戸を「ンナカガー」と呼んでいます。
現在は石積みの部分だけが残されており、水を目にすることはできません。
近くにある崖からは貝塚が発掘されており、島尻元島の住民がどのような生活を送っていたのか知ることができます。
島尻元島とンナカガーへの行き方
島尻元島とンナカガーは島尻漁港の近くにあります。
島尻漁港脇に案内標識は出ているものの、案内標識の近くにあるのは島尻元島にかつて住んでいた人々の屋敷跡のみになります。
ンナカガーは案内標識からさらに150mほど離れた場所にあるため見落としやすいので注意が必要です。
島尻漁港までは宮古空港から車で約30分です。
県道230号線を島尻漁港方面に向かって進むと道路案内標識が見えてきます。
路線バスを利用する場合、「平良」バス停で下車します。
まとめ
宮古島の島尻元島とンナカガーについてお伝えしました。
島尻集落の人々の発祥の地ともいわれている島尻元島ですが、現在は住民はおらず祭祀だけが執り行われています。
ンナカガーは湧水がなかった島尻元島の人々の生活を支えた貴重な井戸であったと考えられています。
お互いの場所は離れており、案内標識のすぐ傍にある島尻元島に比べンナカガーは見つけにくくなっています。
どちらも島尻漁港からは徒歩で散策できる距離にありますので、ぜひ両方一緒に訪れてみてください。
宮古島に住んだ古代の人々に想いを馳せることができます。
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