大阪それとも鹿児島?あさが来たで話題の五代友厚の銅像のある場所をご紹介!
女優・波瑠さん主演の朝ドラ「あさが来た」が大好評のようですね。朝ドラには珍しい時代劇物ですが、朝ドラらしいコミカルな演出で時代劇の堅苦しいイメージを感じさせないのも好評の一因とも言えるはずです。
ところで作中でディーン・フジオカさん演じる五代友厚という人物が出てきましたが、この人なにをした人物かご存知でしょうか。今後の物語のキーパーソンともなるであろう五代友厚。今回は彼に関する歴史、そして銅像の設置場所である大阪と鹿児島の場所をご紹介したいと思います。
五代友厚ってどんな人?
出典:https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/josetsu/bumon/history/kyodo/kgs06_s1_4.html
まずは五代友厚がどんな人物かをご紹介致します。
薩摩の三才と謳われた要人
五代友厚は、西郷隆盛や大久保利通の2人と共に「薩摩の三才」と謳われ、他にも長州藩の高杉晋作や土佐藩の坂本龍馬など、そうそうたる人物たちと親交が深かったとされています。これだけでも十分凄い人だったことがわかりますね。
長崎にてグラバーと邂逅
彼に転機が訪れたのは、アヘン戦争に敗れ、中国から長崎に帰ってきた時のことです。五代はイギリスの商人、トーマス・グラバーとその類まれなるコミュニケーション能力をもって親交を深めます。その交流によって海外情勢と日本の立ち位置を知ることとなります。
しかしその後起こった薩英戦争時にはイギリス軍の捕虜となってしまい、その際に潔く切腹しなかったとして脱出後も薩摩には容易に戻れない状況となりました。そんな中、イギリスと長崎が交渉することを聞いた五代は自らの命を顧みず薩摩藩士であった野村盛秀に開国や貿易、留学の重要性を説き、見事薩摩に返り咲くことに成功しました。
大阪の経済復興に貢献
五代友厚の最も偉大な功績は大阪の経済復興に貢献したことです。明治維新後、大阪経済は低迷しました。それを憂慮した五代はなんとか経済の復活を図ろうと立ち上がり、大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)を設立し、自ら会頭となりました。
その他にも様々な会社を設立し、大阪経済の礎・秩序を築いた功績は今なお称えられています。享年は50歳。死因は糖尿病だったそうです。
五代友厚の銅像設置場所
五代友厚の銅像は大阪と鹿児島の両方にあります。大阪はもちろん経済発展の功績を称えて、鹿児島は彼の故郷であったことから銅像が建てられています。
大阪商工会議所
出典:http://bittercup.blog.fc2.com/blog-entry-2516.html
住所:大阪府大阪市中央区本町橋2-8
1900年に銅像が建てられました。最も古い五代友厚像です。
大阪証券取引所
出典:http://nontaro7.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-22bc.html
住所:大阪府大阪市中央区北浜1-8-16
2004年、大阪証券取引所の新ビル完成時に建立されました。大阪には他にも様々な場所に銅像が建っているみたいですよ。
泉公園内
出典:http://www.kagoshima-kankou.com/guide/11358/
住所:鹿児島県鹿児島市泉町 泉公園
1962年、追悼75周年記念として故郷である鹿児島県にも銅像が建てられました。
鹿児島中央駅前東口広場
出典:http://susono.jugem.jp/?eid=2462
住所:鹿児島県鹿児島市中央町
1982年、彫刻家・中村晋也薩摩藩英国留学生17名の像「若き薩摩の群像」の1人として建立されました。
まとめ
偉大な人物である五代友厚。彼の動向を気にしながら朝ドラ「あさが来た」を観賞するというのも、楽しいと思いますよ。
コメントはこちら