勢理客ノロ(祝女)殿内跡は巡拝の終着点!ワラザンってナニ?

今帰仁村には今帰仁グスクをはじめ数多くの北山監守時代の文化財が残されています。
そして現在も先祖ゆかりの地として巡拝が行われている地域でもあります。
この記事では勢理客ノロ殿内跡についてくわしくご紹介します。
沖縄における信仰や文化的背景を理解して参拝すると、より楽しむことが出来ます。
おでかけの参考にどうぞ。
勢理客ノロ殿内跡は今帰仁廻りの終着点
勢理客ノロ殿内跡 (じっちゃくのろどぅんちあと)は勢理客ノロがかつて住んでいたとされる屋敷の跡地です。
ノロ(祝女)は神職のひとつで、琉球王国の支配下では組織的に各村の祭祀を司る信仰の番人的存在です。
勢理客ノロは勢理客ムラだけではなく運天ムラ、上運天ムラの3つの集落の祭祀を統率していました。
勢理客ノロ殿内跡には建物が並んで2つありますが、向かって右側が屋敷跡、左手側が神ハサギです。
屋敷跡には香炉とワラザンが奉納されています。
勢理客ノロ殿内跡は「今帰仁廻り(なきじんまーい)」もしくは「今帰仁上り」と呼ばれる巡礼の最終地点でもあります。
沖縄における有名な聖地巡礼といえば「東御廻り」が知られていますが、今帰仁廻りも多くの門中によって現在でも行われています。
門中とは同じ始祖をもつ血縁を指し、父系の親族関係を指します。
今帰仁廻りは主に今帰仁城とその周辺の北山監守時代の遺跡をまわり、子孫繁栄や一族の祖先の霊への祈りを捧げます。
今帰仁廻りの巡礼順は次の通りです。
- 今帰仁城跡
- カラウカー
- 火の神の祠
- テンチジアマチジ
- ソイツギ
- 阿応理屋恵ノロ殿内の火之神の祠
- 今帰仁ノロ殿内の火之神の祠
- 供のかねノロ殿内の火之神の祠
- 今帰仁ノロ殿内
- 津屋口墓
- 諸志の赤墓
- 池城墓
- 大北墓
- 百按司墓
- ティラガマ
- 勢理客ノロ殿内
門中一緒に参拝する事が多く、マイクロバスなどをレンタルして1日で回ることが多いようです。
親戚同士のちょっとした小旅行のようですよね。
ワラザンは子孫繁栄祈願に欠かせないもの
勢理客ノロ殿内跡に奉納されているワラザンとは、古来より沖縄の農民が文字の代わりに使用していたものです。
琉球王国時代、農民は文字を持ちませんでした。
そのため集落に住む人間の数や家畜・穀物量の管理のために、縄に藁で結び目をつくり数量管理を行っていたとされます。
同じように南米のインカ帝国も文字をもたず縄の結び目で記録を残していましたが、沖縄におけるワラザンには文字を表現することはなく、もっぱら数字を示すためのものでした。
毎年旧暦7月に行われている祭祀「ワラビミチ」では、子孫繁栄を祈願すると共にこのワラザンが奉納されています。
昭和初期から始まった習慣とされていますが、近年では必要な藁を探すのに苦労しているそうです。
時代の移り変わりを偲ばせる苦労ですよね。
勢理客ノロと琉球王国の関係
運天港には源為朝が上陸したという伝説が残されています。
そして勢理客ノロとの間に子供が生まれ、その子供が琉球王国を生みだしたのだとか。
源為朝は『保元物語』や史実では伊豆諸島で自害したことになっていますが、琉球正史によると自害せずに沖縄に辿り着いたということになっています。
今帰仁廻りの巡礼地に含まれているティラガマは、源為朝が一時期住んでいたという伝説の残る洞窟です。
今帰仁廻りの巡礼地に源為朝と勢理客ノロに関連する拝所が含まれているところをみると、「もしかしたら」という気にもなりますね。
勢理客ノロ殿内跡への行き方
勢理客ノロ殿内跡は勢理客公民館の隣に建っています。
場所は国頭郡今帰仁村字勢理客1です。
勢理客公民館は今帰仁村役場と運天港の中間地点にある施設です。
那覇空港からは約100㎞ほどで、車で移動すると約1時間30分ほどかかります。
公共交通機関を利用する場合、本部半島線「山岳」バス停下車、徒歩で約10分です。
まとめ
勢理客ノロ殿内跡についてくわしくご紹介しました。
勢理客ノロ殿内跡は今帰仁廻り(今帰仁上り)の拝所のひとつで、最後に訪れる場所でもあります。
現在でも多くの人々が祈りを捧げるほか、古来の文化であるワラザンの奉納など数々の祭祀が残されています。
参拝の際は、祈りを捧げる人々の邪魔にならないように注意しましょう。
コメントはこちら